イギリス軍機の来襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 09:02 UTC 版)
「日本軍によるアンダマン・ニコバル諸島の占領」の記事における「イギリス軍機の来襲」の解説
1943年9月8日にイタリアが連合軍に無条件降伏した結果、イタリア軍やドイツ軍の地中海や中東、北アフリカにおける戦力が削減されたため、余裕ができた連合軍はインド洋での攻勢を強めた。日本軍の輸送船がインドなどから飛来したイギリス軍機に襲撃され、アンダマン・ニコバル諸島にもイギリス軍機が来襲するようになった。同年8月23日、カーニコバル島へ陸軍の守備隊を輸送した貨物船屏東丸は、揚陸作業中にイギリス軍機B24の爆撃を受けて沈没し、船長以下36名が戦死、輸送してきた武器・弾薬等と食糧の大半を失った(屏東丸事件)。同年9月22日、30日にはカーニコバル島、10月1日には南アンダマン島ポートブレアとスマトラ島サバンにイギリス軍機が来襲した。
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