アンプティサッカーとの出逢い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 09:58 UTC 版)
「エンヒッキ・松茂良・ジアス」の記事における「アンプティサッカーとの出逢い」の解説
当時、通学の傍ら障がい者スポーツセンターに通っており、水泳や卓球を楽しんでいたある日、新聞記事で「アンプティサッカー」の存在を知った。 (当時ブラジル代表チームはアンプティサッカーで世界最強であり、優勝していた。) 当時、サンパウロで競技をやっている人はいないと言われ、競技への参加をあきらめていた。 13歳を迎えた2年後、アンプティサッカーの全国大会(ブラジル国内)が開催されるという知らせを受け、チームを作り参加することを決意。 ゼロからサンパウロを拠点にアンプティサッカーのチームを組成した。当時のチーム名は「AACD(障害児童サポート協会の頭文字)」。メンバーには20~30代の選手もいたが、ド素人で結成されたチームの結果は全敗。全参加チームの最下位だった。 当大会で、エンヒッキは「新人賞」を受賞。また競技を知るきっかけとなったアンプティサッカーブラジル代表のエース、マリオ・メロ選手に会えたことが、その後の選手人生の大きな転機となった。
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