アレクサンドリア急襲
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/03 05:06 UTC 版)
「クイーン・エリザベス (戦艦)」の記事における「アレクサンドリア急襲」の解説
クイーン・エリザベスはカニンガム地中海艦隊司令長官の命を受けて、ジブラルタルからアレクサンドリア方面へと派遣された。その後、クイーン・エリザベスはアレクサンドリアに入港・碇泊していたが、ここで奇襲攻撃を受けることとなる。すなわち1941年(昭和16年)12月18日、イタリア王立海軍 (Regia Marina) の潜水艦シレ (Scirè) から発進した人間魚雷マイアーレ(イタリア語版、ドイツ語版)によって、姉妹艦ヴァリアント (HMS Valiant) 等と共に奇襲攻撃を受けた。この結果、クイーン・エリザベスは船体中央部から爆発を起こして大破着底の憂き目にあった。この襲撃によって乗員9名が死亡した。また、本艦は僚艦ヴァリアントよりも損傷がひどく、缶室付近に巨大な破口を生じた。そのため、応急修理後はアメリカ海軍のノーフォーク海軍工廠にて修理が行われた。クイーン・エリザベスはこの奇襲以降、1年半にわたって戦闘行動を行うことが出来なかった。
※この「アレクサンドリア急襲」の解説は、「クイーン・エリザベス (戦艦)」の解説の一部です。
「アレクサンドリア急襲」を含む「クイーン・エリザベス (戦艦)」の記事については、「クイーン・エリザベス (戦艦)」の概要を参照ください。
- アレクサンドリア急襲のページへのリンク