アルトゥール・フリードハイムとは? わかりやすく解説

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アルトゥール・フリードハイム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/07/19 09:35 UTC 版)

アルトゥール・フリードハイム

アルトゥール・フリートハイムArthur Friedheim / ロシア語: Артур Фридхайм, *1859年10月26日 – †1932年10月19日)はロシア帝国出身のピアニスト指揮者作曲家教育者で、辣腕のヴィルトゥオーゾとしてドイツ北米で活躍した。フランツ・リストの名だたる高弟の一人である。

略歴

サンクトペテルブルクユダヤ系の家庭に生まれ、8歳で真剣に音楽を学び始める。後に1年間、名ピアニストのアントン・ルービンシュタインに師事するが、ルービンシュタインの体系的でない指導法が承服できず、代わりにフランツ・リストの許に移った[1]

リストは当初フリードハイムの演奏が気に入らなかったが、フリードハイムの演奏様式が個性的であることは認めた。ハロルド・ショーンバーグの著書『偉大なピアニスト』によると、リストが指導を躊躇した理由は、フリートハイムは先にルービンシュタインに入門していて、そのルービンシュタインをリストが毛嫌いしていたかもしれないという。1880年に入門を許可されるまでに、フリードハイムは数回リストの御前で演奏を披露しなければならなかった。フリートハイムは好んでリストの演奏の型を模倣しており、ピアニスト兼作曲家のフェルッチョ・ブゾーニは、フリードハイムが演奏するのに接した際に、そのことに気付いたという[2]。フリードハイムは、ドイツの劇場や歌劇場においてオーケストラを指揮する機会も経験した[1]

1891年から1895年にかけてアメリカ合衆国で教師や演奏家として活動し、その後は暫くロンドンに過ごして、1904年までマンチェスター音楽大学で教鞭を執った。1908年から1911年まではミュンヘンで指揮者として活動した後、渡米して1915年カナダトロントに移り住んだ。1921年にはカナダ音楽アカデミーの教授に就任している[1]。このかた1898年から1911年まで、ニューヨーク・フィルハーモニー協会の指揮者に就任するよう要請されていた。指揮者としても優れていたためだったが、むしろピアノに集中したいからとの理由でフリードハイムはいずれの機会も断わり続けた[2]

ニューヨーク・シティにおいて永眠。

後世への遺産

フリードハイムは、フランツ・リストに関する心理学的な研究や、多くの回想録を遺しており、それらは門弟セオドア・ビュロックによって『生涯とリスト(Life and Liszt)』の題でまとめられた。フレデリック・ショパンの作品を校訂するかたわら、数々の作曲を行なったが、出版された作品数は少なく、多くの自筆譜が今や散逸している。《ポンペイ最後の日々(The Last Days of Pompeii)》や《アレクサンダーとタイス(Alexander and Thais)》、《踊り子(Die Tanzerin)》といった歌劇を作曲しているが、《クリスマス(The Christmas)》と《ジュリア・ゴンザガ(Giulia Gonzaga)》の2つの歌劇は未完成のまま放置された。さらに、2つのピアノ協奏曲や、演奏会用序曲《我らが時代の英雄(A Hero of our Times)》、行進曲《多数の州から一つの国へ(ラテン語: E pluribus unum)》といった作品を遺した[1]

フリードハイムの演奏技巧は、技術的に凄絶なことで認められたが、最も顕著だったのは、リスト作品の解釈における明晰さと冷静沈着さだった。不幸にして、少しだけ制作された録音の中でも、最も音質の良い演奏でさえ、断片的にしか現存しない[1]。1912年にコロンビア社に3点を録音しており、そのうち一つは珍品と看做されている。ショパンの《ピアノ・ソナタ第2番 変ロ短調》の葬送行進曲を演奏していて、トリオ(中間部)の終結まで来たところで、盤面にそれ以上の余白が亡くなってしまい、そこであっさり終ってしまうのである。どうやら楽曲の2/3だけを録音するつもりであったらしい[2]

ヴァン・クライバーンの実母リルディア・ビー・オブライアン=クライバーンは、フリートハイムの門弟の一人である。

  1. ^ a b c d e Moore, 6:849.
  2. ^ a b c Schonberg, 323.

参考文献

  • ed. Sadie, Stanley, The New Grove Dictionary of Music and Musicians, First Edition (London, Macmillian, 1980). ISBN 0-333-23111-2
    • Moore, Jerrold Northrop, "Friedheim, Arthur"
  • Schonberg, Harold C., The Great Pianists (New York: Simon and Schuster, 1987, 1963). ISBN 0-671-64200-6

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