アルジェ侵攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/01 03:01 UTC 版)
「アレハンドロ・オレイリー」の記事における「アルジェ侵攻」の解説
1775年、グリマルディ首相 (Jerónimo Grimaldi, 1st Duke of Grimaldi) の提案でスペインがアルジェに遠征したとき (Invasion of Algiers (1775)) 、オレイリーは2万人からなる上陸軍を率いたが、遠征は大失敗に終わり、首相は辞任、オレイリーは批判されてチャファリナス諸島に逃がれた。しかしオレイリーを高く評価していたカルロス3世は、彼をアンダルシア総監に任命した。 1779年、スペインはアメリカ独立戦争でイギリスに宣戦した。翌年オレイリーはカディスの軍事総督に任命された。戦後の1786年に辞任した。 1793年のトゥーロン攻囲戦でトゥーロンが共和派の手に落ちた。翌年アレハンドロはカタルーニャ軍を率いてカルタヘナからバルセロナへ向かったが、病気のため途中のアルバセテ県ボネーテ (Bonete) で没し、そこに埋葬された。
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