アモス・ビウォットとは? わかりやすく解説

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アモス・ビウォット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/04 09:09 UTC 版)

獲得メダル

アモス・ビウォット
 ケニア
陸上競技
オリンピック
1968 メキシコ 男子 3000m障害

アモス・ビウォット(Amos Biwott、1947年9月8日 - )は、ケニアの陸上競技選手。1968年メキシコオリンピックの男子3000m障害金メダリストである。リフトバレー州ナンディ県出身。

経歴

ビウォットは、1960年代から70年代にかけて活躍したケニアの3000m障害を得意とした陸上選手である。現在、陸上競技の中長距離で世界を圧倒しているアフリカ勢の先がけとなった選手の一人である。

ビウォットは、メキシコオリンピックの前まで3000m障害をそれほど経験していたわけではなかった。さらに、技術的にも優れていたわけではなく、ハードリングも粗かった。しかし、それまで障害物に足をかけて飛び越えるのが一般的だったものを、ビウォットは大胆にもハードルに足をかけずに跳び越えるスタイルを貫き、タイムを短縮していった。メキシコオリンピックでは、8分51秒02で金メダルを獲得。銀メダルを獲得したベンジャミン・コーゴとともにワンツーフィニッシュを決めた。ビウォットが優勝したメキシコオリンピック以降、ケニアは、不参加だった1972年、1976年のオリンピックを除いて、すべてのオリンピックの3000m障害で金メダルを獲得している。

ビウォットは、メキシコオリンピック以後、1970年のコモンウェルスゲームズで3位となったものの、1972年ミュンヘンオリンピックで8位、そして、1974年のコモンウェルスゲームズでも8位と次第に力が衰えてゆき、競技から引退する。

現役引退後は、ケニアの刑務所職員、スタジアムの警備員となった。また、ビウォットは1972年ミュンヘンオリンピックに出場した、ケニア女性として最初にオリンピック出場を果たした選手の一人であるチェロノ・マイヨと結婚した。

主な実績

大会 場所 種目 結果 記録
1968 オリンピック メキシコシティ(メキシコ) 3000m障害 1位 8分51秒0
1970 コモンウェルスゲームズ エジンバラ(スコットランド) 3000m障害 3位 8分30秒8
1972 オリンピック ミュンヘン(西ドイツ) 3000m障害 6位 8分33秒6
1974 コモンウェルスゲームズ クライストチャーチ(ニュージーランド) 3000m障害 8位 8分41秒4

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