アムリトサル条約
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アムリトサル条約(アムリトサルじょうやく、英語: Treaty of Amritsar)は、インド・パンジャーブ州のアムリトサルで締結された条約。下記が存在する。
- アムリトサル条約 (1809年):シク王国のランジート・シングとイギリス東インド会社の間で締結された。
- アムリトサル条約 (1846年):グラーブ・シングとイギリス東インド会社の間で締結された。
アムリトサル条約
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/12 09:14 UTC 版)
イギリスは戦争の賠償金として1500万ルピーを要求した。王国はすぐに賠償金を支払うことができなかったため、ハザーラやカシュミールなど国土の一部を1000万ルピー相当として割譲し、600万ルピーを現金で支払った。 イギリスはその後、カシュミールをジャンムーのラジャであるグラーブ・シングに750万ルピーの値段で売却した。売却の条約は1846年3月16日、アムリトサル条約(英語: Treaty of Amritsar)として締結され、グラーブ・シング、ハーディング、カリー、ローレンスが署名した。 条約により、グラーブ・シングはジャンムー・カシュミール藩王国の初代君主となった。
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