アミール即位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 06:03 UTC 版)
アブド・アッラフマーン1世の晩年、後継者問題に悩んだ彼は11人の男子の中からヒシャームを後継者に指名し、辺境区であるメリダの代官に任命した。この時、後にヒシャームとアミールの座を巡り対立する兄スライマーンは、同じく辺境区のトレド代官に任命された。イブン・イザーリーの『バヤーン』によればアブド・アッラフマーン1世は「徳と自制心を備え一般的に支持が多いヒシャーム」と「年長で勇敢でありシャーミーユーン(前ウマイヤ朝時代にアマジグ人の反乱鎮圧のためシリアからイベリア半島に派遣されたアラブ人。彼らは領地を貰い、軍務に服した)に支持されているスライマーン」のうち自分の死後に先に首都コルドバに駆け付けた方を最終的なアミールとすると言い残したという。788年にアブド・アッラフマーン1世が死ぬとヒシャームは兄スライマーンよりも先にコルドバに駆け付けアミールとして即位した。
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