アトバラ【Atbarah】
読み方:あとばら
スーダン北部の都市。ナイル川とアトバラ川の合流点付近に位置する。ナイル州の州都。首都ハルツーム、港湾都市ポートスーダン、エジプト国境のワディハルファと鉄道で結ばれる。セメント工業が盛ん。
あと‐ばら【後腹】
アトバラ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 00:45 UTC 版)
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アトバラ
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北緯17度43分40秒 東経33度59分40秒 / 北緯17.72778度 東経33.99444度 | |
国 | ![]() |
州(ウィラーヤ) | ナイル川州 |
人口
(2010)
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• 合計 | 139,264人 |
推計 |
アトバラ(Atbarah, Atbara, アラビア語: عطبرة)は、スーダンの都市。スーダン北部、ナイル川とアトバラ川の合流点の北東に位置し、ナイル川州の州都である[1]。人口139,264人(2010年推計)。アトバラは海港ポートスーダンと首都ハルツームを結ぶ鉄道上に位置し、ワジハルファへの支線が分岐している鉄道の要衝である。また、スーダン最大のセメント工場がある。
歴史
1898年4月8日、スーダンへの再侵攻を目指すイギリスのキッチナー将軍とマフディー軍がアトバラで戦い、英埃軍が勝利を収めた(アトバラの戦い)。これによって英軍は勢いに乗り、半年後のオムドゥルマンの戦いでマフディー国家を滅ぼし[2]、英領スーダンの支配を確立した[3]。
1946年には、アトバラの鉄道労働者たちがスーダンではじめての労働組合を結成しストライキを行った。鉄道労組の影響で、アトバラはスーダンにおける共産主義の拠点と看做されている。モハメド・アン=ヌメイリは資本主義やイスラム主義などに思想的変遷があったが共産主義時代にはアトバラを拠点とした。
人口統計
年 | 人口[4] |
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1956 | 36,300 |
1973 | 66,116 |
1983 | 73,009 |
1993 | 87,878 |
2007(推計) | 111,399 |
2010(推計) | 139,264 |
脚註
- ^ "'Atbarah, or Atbara (The Sudan)" (description), Encyclopædia Britannica, 2007, webpage: EB-Atbara.
- ^ "Atbara", Encyclopedia Britannica, 1911
- ^ Winston Churchill, The River War, 2 vols. (1899); abridged ed. Project Gutenberg (1902)
- ^ Sudan: largest cities and towns and statistics of their population, World Gazetteer, Last Update: 2010-01-01.
- "'Atbarah, or Atbara (The Sudan)" (description), Encyclopædia Britannica, 2007, webpage: EB-Atbara.
外部リンク
この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Atbara". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.
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