アストライア時代
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2013年、アストライアの主将に就任。打率.431を始め、多くの打撃部門でキャリアハイを更新した。首位打者、最多打点(34打点)、最高出塁率(.537)のタイトルを獲得する活躍でチームを優勝に導き、2度目のベストナイン(遊撃手部門)に加えリーグMVP(角谷賞)を初受賞した。 2014年、リーグ戦ではプロ入り後初めて打率が3割を切るなど調子が上がらなかったものの、第6回IBAF女子ワールドカップに出場する日本代表に2大会連続で選出された。 2015年、リーグ2位の打率.379、出塁率.471を記録。2016年は第7回WBSC女子ワールドカップに出場する日本代表に選出されたこと以外は特別に目立つ活躍は出来なかった。 2017年、二塁手へコンバート。リーグ2位の打率.397、リーグトップの出塁率.509を記録し最高出塁率のタイトルを獲得。その他、二塁手部門では初のベストナインに選出され、前年に新設されたゴールデングラブ賞を二塁手部門で初受賞するなど、3年ぶりのタイトル獲得を果たす活躍で、チームのリーグ年間優勝とジャパンカップ初優勝に貢献した。3月25日の京都フローラ戦(わかさスタジアム京都)ではプロ入り後初本塁打を放った。 2018年、第8回WBSC女子ワールドカップに出場する日本代表に選出。12月29日に現役引退を発表した。
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