みやじま丸 (3代)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/30 03:54 UTC 版)
| みやじま丸(3代) | |
|---|---|
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みやじま丸
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| 基本情報 | |
| 船種 | フェリー |
| 船籍 | |
| 所有者 | 日本国有鉄道 →西日本旅客鉄道 |
| 運用者 | 日本国有鉄道 →西日本旅客鉄道 |
| 建造所 | 内海造船 |
| 母港 | 東京(日本国有鉄道) →広島(西日本旅客鉄道) |
| 姉妹船 | みせん丸 (3代) |
| 航行区域 | 平水 |
| 信号符字 | JG3755 |
| 経歴 | |
| 起工 | 1978年2月[1] |
| 進水 | 1978年5月[1] |
| 竣工 | 1978年9月18日 |
| 就航 | 1978年 |
| 引退 | 2006年5月23日 |
| 要目 | |
| 総トン数 | (みやじま丸)266.40 トン (みせん丸)266.49 トン |
| 載貨重量 | 52.62 t[1] |
| 全長 | 30.60 m[1] |
| 登録長 | 27.62 m[1] |
| 垂線間長 | 27.00 m[1] |
| 全幅 | 8.0 m |
| 型幅 | 8.00m[1] |
| 型深さ | 2.80 m[1] |
| 満載喫水 | 2.05 m[1] |
| 機関方式 | ディーゼル |
| 主機関 | ダイハツ[1] |
| 出力 | 500 ps[1] |
| 最大速力 | 10.5ノット[1] |
| 航海速力 | 8.0ノット[1] |
| 旅客定員 | 450名(車両搭載時350名) |
| 乗組員 | 4名[1] |
| 車両搭載数 | 乗用車4台 |
みやじま丸(みやじままる)は、日本国有鉄道→西日本旅客鉄道の宮島航路(JR西日本広島支社)の船舶である。同型船にみせん丸(3代目)がある。
ここではみやじま丸、みせん丸ともに記述する。
概略
みやじま丸(2代目)、安芸丸(2代目)に替わる宮島航路の船舶として建造される。従来の宮島連絡船が貨客船であるのに対し、カーフェリーとして計画、建造された。従来1〜2台の自動車積載に対し、4台の積載が可能である。
「みやじま丸」は1978年(昭和53年)9月18日、「みせん丸」は同年7月28日に内海造船で竣工している。起工日は同じ日(1978年2月7日)であるが、みやじま丸の建造が遅れてしまったという。そのため「みやじま丸型」であるが、先に竣工したのは「みせん丸」である。就航日は「みやじま丸」は1978年(昭和53年)9月27日、「みせん丸」は同年8月10日である[2]。外観上は同一であるが、総トン数が異なる。
「みせん丸」はみせん丸(4代目)の就航により、1996年(平成8年)4月25日に運航を終え引退する。
「みやじま丸」は、みやじま丸(4代目)の就航により、2005年(平成17年)に引退予定であったが、ななうら丸の乗客負傷事故、および、みやじま丸(4代目)が試験航行中に松大汽船側の桟橋に衝突する事故が発生したため、引退は延期。2006年(平成18年)5月23日に引退となった。
その他
宮島航路で「宮島丸」「みやじま丸」の名称の船舶は5隻ある(西暦は宮島航路での就航年)。
- 宮島丸 個人経営→山陽鉄道 1902年〜1905年
- みやじま丸(初代) 国鉄 1954年〜1964年
- みやじま丸(2代目) 国鉄 1965年〜1978年
- みやじま丸(3代目) 国鉄→JR西日本 1978年〜2006年
- みやじま丸(4代目) JR西日本→JR西日本宮島フェリー 2006年〜
宮島丸は山陽鉄道時代に宮島航路での運航を終えているため、歴代のみやじま丸には含まれない。
脚注
- みやじま丸_(3代)のページへのリンク