ななくりの湯の諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/05 23:52 UTC 版)
今日において、枕草子にある「ななくり」の湯は大方、榊原温泉を指すのが最有力である。ただ、この「ななくり」の湯とは、別所温泉だという説、あるいは少数派として湯ノ峰温泉説も存在する。『枕草子』の段だけではその1文しかないために明確に判別しかねるが、他に鎌倉時代の後期に出版された夫木和歌抄に載せられた2つの歌にある「一志の〜ななくりの湯」という事例がある。一志とは榊原温泉が位置する一志郡を指しており、この温泉が古くから「ななくりの湯」と呼ばれていたことを裏付けている。 また、同温泉は神宮と関わりが深く、特別な湯として尊重された。また、他に選んだ玉造温泉、有馬温泉も、ともに天皇家と関わりが深く、神の湯としてもてはやされ、他の共通点として医薬の神、温泉の神として知られる少彦名命が発見したと伝えられる伝承があるなど共通の関連性が見られる(ただし、少彦名命の開湯と伝わる湯は全国に数多存在する)。 別所温泉側は、古くこの温泉が七苦離、七久里と呼ばれたことを主張しているが、いつからそう呼ばれたのかは判然としていない。しかし、別所温泉側は榊原温泉ほど(枕草子の)「ななくりの湯」という主張は行っていない。これは、後の別所温泉が、武家社会と結びつき、北向観音を初めとする寺内町の湯垢離の場として発展したことで、清少納言が活躍した平安時代観で宣伝することはイメージに合わなかった(むしろ、温泉信仰に乗じて弘法大師ゆかりの湯と宣伝する方が効果的であった)ためである。
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