きよめ教会事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/03 07:17 UTC 版)
中田の死後、指導権の争いが起こり、森五郎・工藤玖三らを中心とする森・工藤派(長老派)と尾崎喬一を中心とする尾崎派(少壮派)に分裂する。これを「きよめ教会事件」と呼ぶ。 経緯は、尾崎が中田の育てた保坂一を擁して中田の後継者としての指導権を握ろうとした。しかし、それを不満とする古くからの長老たちが森・工藤を中心とする群れを形成する。 尾崎らの少壮派は聖書学院に留まり、森・工藤ら長老派は聖書学院を去る。女子寮舎監竹内かつと谷中夫妻は、聖書学院の近くの成子坂に家を借りてきよめ教会と称して牧会をすることになる。 翌年、1941年(昭和16年)に尾崎喬一ら東洋宣教会きよめ教会(少壮派)は日本基督教団には加わらずに、きよめ教会を離脱して、東洋宣教会きよめ教会を名乗り、県知事認可による秘密結社の道を歩んだ。
※この「きよめ教会事件」の解説は、「きよめ教会」の解説の一部です。
「きよめ教会事件」を含む「きよめ教会」の記事については、「きよめ教会」の概要を参照ください。
- きよめ教会事件のページへのリンク