あきた十文字映画祭とは? わかりやすく解説

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あきた十文字映画祭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/24 02:12 UTC 版)

あきた十文字映画祭
Jumonji Cinema Festival
十文字文化センター(2021年まで)
イベントの種類 映画祭
開催時期 毎年2月
初回開催 1991年
会場 十文字コミュニティセンター
主催 十文字映画祭実行委員会
最寄駅 JR東日本奥羽本線十文字駅
公式サイト
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あきた十文字映画祭(あきたじゅうもんじえいがさい)は、秋田県横手市十文字地域(旧平鹿郡十文字町)で毎年2月上旬から中旬にかけての時期に開催される映画祭1991年に始まった[1]

概要

1991年、自主上映サークル「夜間飛行」のメンバーを中心に、スクリーンで映画を観る場が少なくなってきていた秋田県南部地区で「映画のある町づくり」を目指して企画された[1]。第1回は1991年12月31日から1992年1月5日まで行われた。12月31日は『波の数だけ抱きしめて』『稲村ジェーン』をドライビングシアターで、1月1日から5日までは『ウホッホ探険隊』『サード』『砂の器』『遠雷』『ビルマの竪琴』『ダイ・ハード2』『男はつらいよ/ぼくの伯父さん』『ちびまる子ちゃん/ドラえもん』を上演した[1]。4日には根岸吉太郎(監督)、永島敏行(俳優)、荒井晴彦(脚本家)、東海林良(作詞家)、白鳥あかねスクリプター)、大高真寿美(NHKFM パーソナリティ)をゲストにまねき、シネマフォーラムがひらかれた[2][注釈 1]

第2回以降は、開催月を2月に変更した。第2回は、1993年2月11日から2月14日までの4日間開催された。日本映画では『寝盗られ宗助』『阿賀に生きる』『天空の城ラピュタ』『喜びも悲しみも幾歳月』『ファンシイダンス』『無能の人』『空がこんなに青いわけがない』『シコふんじゃった』、外国映画では、『ヒンドとカミリアの夢』(1988年、インド、ムハマド・カーン監督)、『ざくろと笛』(1989年、イラン、サイード・エブラヒミファル監督)、『ジャッカルの夜』(1989年、シリア、アブドラルラティフ・アブドルハミド監督)、『ビレッジボーイ』(1990年、マレーシア、アザド・カーン監督)、『スワミー』(1987年、インド、シャンカール・ナグ監督)などを上演している[3]。シネマフォーラムは、周防正行(監督)、柄本明(監督・俳優)、永島敏行(俳優)、清水美砂(女優)、白鳥あかね、荒井晴彦、寺脇研(映画評論家)がゲストとして参加した[3][注釈 2]

以後、現在まで最新の邦画、新人監督、アジア圏映画の3つが映画祭の柱となっている[1]

ゲスト俳優一覧

男性

女性

脚注

注釈

  1. ^ 永島敏行は、その後も数多くゲストとして参加し、計11回、十文字映画祭をおとずれている。
  2. ^ 白鳥あかね、荒井晴彦、寺脇研の3人はその後もほぼ毎回ゲスト参加している。

出典

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