『東インド会社遣日使節紀行』
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「アルノルドゥス・モンタヌス」の記事における「『東インド会社遣日使節紀行』」の解説
日本に関する著作に、1669年刊の『東インド会社遣日使節紀行』(蘭: Gedenkwaerdige Gesantschappen der Oost-Indische Maetschappy aen de Kaisaren van Japan, 英訳題『日本誌』 Atlas Japannensis)がある。オランダ語の原書は5版に達し、また原書が出版された1669年のうちにドイツ語訳、翌1670年には英語訳とフランス語訳が出版されるなど、出版当時は幅広く読まれた著作であった。ただし、モンタヌス自身は一度も来日しておらず、イエズス会士の報告書や、使節の江戸参府紀行、ブレスケンス号事件の報告などに基づいて著したとされる。このため、誇張や不正確な記述が多いことが指摘されている。特に、多数挿入された挿図は、全くの想像に基づいて描かれたものである。 日本刀について、ヨーロッパの刀身を容易に切断できると紹介している(ジャン・クラッセ(英語版)も同様の事を記している)。 島田孝右は、本書の内容がジョルジュ・サルマナザールの偽書『台湾誌』や、ジョナサン・スウィフトの『ガリヴァー旅行記』第3部の日本に関する描写に影響を与えたことを指摘している。
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