『吾妻鏡』による記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 11:08 UTC 版)
『吾妻鏡』では、文治元年(1185年)10月19日の記録で、かつて源義朝が後白河法皇に吠丸という御護りの御剣を献上したが2年前に紛失していたのを大江公朝が探し出して献上した、と記載がある。また翌日20日の記録では、寿永2年(1183年)の平家都落ちの際に平清経が後白河法皇の院御所の法住寺殿から吠丸と一緒に奪った鵜丸という御剣を源範頼が九州遠征の際に取り戻して献上した、とある。鵜丸は源為義に与えられていたが、為義の死後は朝廷に返されていた。
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