「Officer's Daughter」の存在
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 16:46 UTC 版)
「斎藤きち」の記事における「「Officer's Daughter」の存在」の解説
幕末から明治中頃にかけて主に横浜の写真館から国内向けや在留外国人の土産物、あるいは輸出用に多数販売されていた写真の中の一葉で、「Officer's Daughter」(士官の娘)と呼ばれる写真が存在する。アドルフォ・ファルサーリが横浜で経営していた写真店・ファルサーリ商会で販売していたもので、撮影者・モデル共に不詳。紙焼きプリントに手彩色されている。1880年代(明治10年代)から1890年代(明治30年代)半ば頃まで販売され続けた人気商品であり、ファルサーリ商会以外の複数の写真店からも販売されて国内外に多数が現存している。売れ行きが好調だったためであろうか、このモデルの女性は複数の土産物写真に用いられている。女体についての考察で知られ、明治期に来日もしているドイツ医師カール・ハインリッヒ・シュトラッツの日本人に関する書物では、鼻を高く加工したものがイタリア人と日本人の混血の娘として掲載されている。 「Officer's Daughter」(士官の娘)と19歳の「きち」を撮影したものと称されている写真が基本的には同一の写真である事は一見して明らかである。
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