「雍正のチベット侵攻・分割」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/04 03:00 UTC 版)
「青海」の記事における「「雍正のチベット侵攻・分割」」の解説
1723年 - 1724年に雍正帝は青海草原に侵攻してグシ・ハン一族を屈服させ、チベット各地の、代官を派遣して統治していた直轄地や諸侯たちに対する支配権をすべて剥奪、グシ・ハンの末裔たちは、青海草原とそこに暮らすオイラト系遊牧民を30旗で分け合い、領有する小規模領主に転落した。 雍正帝は、グシ・ハン一族に所属していた直轄地や諸侯たちを、1724年から1732年にかけて、「ダライ・ラマに賞給するもの」と清朝の手で所領を安堵するものたちに大別、チベットは、ダライ・ラマの「香火田地」たる「西蔵」、青海の2地方と、隣接する中国の各省(甘粛、四川、雲南)に分属させられる各地とに大別されることとなった。
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