「神奈川左派」分裂と「革命左派」結成
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「日本共産党(革命左派)神奈川県委員会」の記事における「「神奈川左派」分裂と「革命左派」結成」の解説
1969年3月、神奈川左派は分裂し、新左翼の実力闘争に好意的な元「警鐘」の河北三男、川島豪らを中心とした日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会が結成された。「革命左派」という名称は、左派よりも革命的であるという理由で川北三男がつけたものだとされる。また学生・青年大衆団体の「反帝平和青年戦線」も「学生戦闘団」に改称された。革命左派の結成当初の最高指導者だった河北三男は、革命左派を親新左翼の毛沢東主義派による全国政党結成のための過渡的な組織と位置づけていたらしい。革命左派正規党員は結成当初約20人いたが、そのうち共産党出身者は1人だけで、その1人も活動には消極的で間もなく組織を去っていった。「警鐘」系メンバーにも、革命左派結成を期に組織を離れた者がいた。
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