「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生
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「ダウンタウン (お笑いコンビ)」の記事における「「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」誕生」の解説
当時の吉本興業は、漫才ブームの終焉によって花月三館(なんば花月・うめだ花月・京都花月)の観客も若年層より年配層が多くを占めていた。NSC時代から2人のマネージャー的存在であった大崎洋(現・吉本興業ホールディングス代表取締役会長)は、才能はあるが注目度が低かったダウンタウンに対して「彼らの場を作ってやらんといかん」と、大崎が発起人となり当時大阪・心斎橋に南海電気鉄道が賃貸契約していた劇場「南海ホール」での定期開催を計画。笑いのターゲットを若年層に絞り、若手芸人と共に1984年7月12日「心斎橋筋2丁目劇場 in 南海ホール」(通称「心劇」)を毎週末に開催した。
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