「心塾」と「あしなが育英会」の設立
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「玉井義臣」の記事における「「心塾」と「あしなが育英会」の設立」の解説
1978年、東京都日野市旭ヶ丘に遺児のための学生寮「心塾」(2006年2月より「あしなが心塾」)を設立し、教育者としての道を本格的に歩むことになる。1990年に朝日新聞社から「朝日社会福祉賞」を授与される。この頃より、玉井の災害遺児救済運動への関与について、交通遺児育英会内部から「背信行為」などと攻撃する動きが現われる。その内部の人事においてはたびたび「官僚の天下り」疑惑が指摘されており、その天下り人事に対立した玉井は1993年、純粋な民間の組織として新たに「あしなが育英会」を設立する(会長には新日鉄社長を務めていた武田豊が就任し、自身は副会長)。1994年に反玉井派の中心人物と目されていた宮崎清文(元総理府総務副長官)が交通遺児育英会の理事長に着任したことに伴い、同会専務理事を退任。社会学者の副田義也はこの件に関して、「自らが育てた交通遺児育英会を天下りしてきた高級官僚OBに乗っ取られ」と表現した。
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