「売女収容所」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 20:12 UTC 版)
「ジャン・ラフ・オハーン」の記事における「「売女収容所」」の解説
ボゴール到着の2,3ヵ月後、バタビア市のクラマット(Kramat)収容所という大規模な女子収容所に移された。クラマット収容所の中でも、オハーンたちの居住区域は他の区域から完全に隔離され、収容所の中の収容所のようになっていた。日本の将校たちは、噂が広まりオハーンたちになされたことの真相が露見するのを恐れ、収容所間の往来を禁止して隔離することで話が漏れるのを防ごうとした。ここでも、事件のことを絶対に口外するな、人に話したら殺すと言われた。 他の区域の女性たちは、オハーンたちが自由意志で日本軍の売春宿で働いていたと思っていて、オハーンたちのいた収容所を「フーレン・カンプ(売女収容所)」と呼び、またそのためにオハーンたちが特別待遇を受けていると信じていて、オハーンたちの収容所に向かって「売女、裏切り者、コナイネン(兎たち)」などと大声で罵ったり、言いたいことを書いた紙を石に結わえて塀の上から投げてよこしたりした。 クラマット収容所の状況は次第に悪くなり、食べ物が乏しくなっていった。オハーンの母は痩せ細り、肺炎にかかって、重態になった。
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