「六十万人の偈」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/06 06:00 UTC 版)
時宗の開祖となった一遍が「智真」と名乗っていた1274年(文永11年)ころ、高野山を巡礼したのち熊野で100日間の参籠をおこない、その満願の日に熊野権現の神託を受けたといわれる。それは「六字名号一遍法、十界依正一遍体、万行離念一遍証、人中上々妙好華」の四句から成る偈のかたちとなっており、各句のかしら文字が「六十万人」となることから「六十万人の偈」と呼称される。のちに彼が「一遍上人」と称されるようになったのは、この偈に由っている。
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