「八十寺」の読み
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/26 02:41 UTC 版)
「八十寺」を「はっしんじ」と読むのは、平仄の辻褄を合わせるための伝統的な読みぐせである。すなわち、転句は平仄が○○●●●●●となっており、正格ならば6文字目が平声になって二六対にならなければいけないが、句脚が五仄続いて破格になっている。おそらく「四百八十寺」というフレーズにこだわった末の窮策であろう。ここで入声の「十」を平声に転じて「忱」(シン)・「諶」(シム)と読むという説があり、「はっしんじ」の読みはこれに基づく。また、填詞家は時に入声を平声で読む傾向があったため、杜牧もそれを前提にしていたという説もある。 なお、絶句は律詩や排律ほどには平仄にこだわらないものであり、またこうした破格の詩は杜牧を含め当時の詩では珍しくないことから、普通に「はちじゅうじ」で問題ないとする見解もある 。
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