「チュシン」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 04:03 UTC 版)
朝鮮の歴史を民族史観から再照射した李氏朝鮮後期~日本統治時代の朝鮮の歴史学者申采浩(1880年 - 1936年)は、『朝鮮上古史』で、清の乾隆帝の勅命で編纂された『欽定満州源流考』には「朝鮮(チョソン)」の語源は「静かな朝の国」ではなく元々は「珠申(チュシン)」で、その意味は珠申の所属する管境であり、管境の意味は倍逹民族が住んでいる全世界であり、珠申から粛慎、朝鮮が出たと主張した。また、『欽定満州源流考』は夫余や三韓はおろか、百済や新羅までも女真族の歴史に組み入れている。 「チュシンの王」という表現は韓国ドラマ『太王四神記』においても用いられている。
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