「セアの申し子」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/12 22:36 UTC 版)
セアで一躍頭角を現したのは、何と言っても片平巧(19期、船橋オートレース場所属、故人)である。1990年の第22回日本選手権オートレースで優勝して以降、フジの振動の影響もありいまひとつ結果を出せずにいた片平だが、セア導入直後の1993年11月に開催された第25回日本選手権オートレースで圧倒的な強さで優勝。当時『セアでは不可能』と言われていた競走タイム3.38台をマークする。その後片平は名実共に最強となり、「セアの申し子」と讃えられた。もう1人の「セアの申し子」として、高橋貢(22期、伊勢崎オートレース場所属)が挙げられる。その後彼は、片平をすら凌駕する強さを誇り、「絶対王者」の異名で呼ばれるようになった。
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