「いろは」と忠臣蔵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:22 UTC 版)
赤穂事件をもとにした忠臣蔵の芝居には、その題名に「いろは」という言葉が入るものがある。これは赤穂浪士四十七士をいろは四十七文字になぞらえたことによるもので、享保20年(1735年)9月の江戸市村座『忠臣いろは軍記』、寛保元年(1741年)9月の大坂中の芝居『粧武者いろは合戦』などがある。寛延元年(1748年)8月に大坂で初演された『仮名手本忠臣蔵』の「仮名手本」も、いろは四十七文字と四十七士を意味したものである。ちなみに元禄の豪商淀屋辰五郎の家の蔵を「いろは蔵」と称した例などから、『仮名手本忠臣蔵』という題名が生まれたといわれている。忠臣蔵の芝居に「いろは」を付けることは、『仮名手本忠臣蔵』の後も行われた。
※この「「いろは」と忠臣蔵」の解説は、「いろは歌」の解説の一部です。
「「いろは」と忠臣蔵」を含む「いろは歌」の記事については、「いろは歌」の概要を参照ください。
- 「いろは」と忠臣蔵のページへのリンク