Yak-1 (航空機) 名称

Yak-1 (航空機)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 16:25 UTC 版)

名称

名称は日本語文献では日本語のローマ字表記に従って「Yak-1」と書かれるか、そのローマ字読みで「ヤク1」と書かれることが多いが、一方で「Jak-1」と書かれることもある。これは、言語によってロシア語の文字の転写が異なることに由来する。ドイツポーランドチェコなどの東欧圏では、使用言語の発音表記上の規則に従って「Jak-1」と書かれることが専らである。また、ソ連科学アカデミー(現ロシア科学アカデミー)の採用した正式の転写法でも「Jak-1」となる。一方、ルーマニア語を用いるルーマニアモルドヴァでは「Iak-1」と書かれる。その他、表記のバリエーションとしては、ロシア語でも他言語でも「ЯК-1」、「YAK-1」などとすべて大文字で書かれることもある。

開発

1930年代末、スペイン内戦ノモンハン事件ですでに性能不足を露呈していたそれまでの主力機に代わる新たな戦闘機の開発が、国内の各設計局に対し命ぜられた。以前より多くの戦闘機の開発に成功し「戦闘機の王様」と呼ばれていたポリカールポフ設計局に加え、ヤコヴレフラーヴォチキンミグスホーイなど多くの設計局が新型戦闘機の設計に着手した。

1938年11月に第一線級戦闘機の開発を命ぜられたヤコヴレフ設計局では、設計局の頭文字をとったYa-26の開発名称のもと初の本格的戦闘機の開発に取り掛かった。それまでヤコヴレフ設計局ではAIRロシア語版シリーズやそこから生まれたUT-1 (AIR-14) やUT-2などの軽量飛行機の開発に成功してきたが、かねてより戦闘機の開発に強い関心を持っていたアレクサンドル・セルゲーエヴィチ・ヤコヴレフは、この千載一遇の機会にそれまでのものとは一線を画する新型戦闘機を生み出そうと努力した。設計された機体には、設計者同士の繋がりからクリーモフ設計局製のエンジンが搭載されることとなった。Ya-26には「26番目の戦闘機」を意味するI-26の正式名称が与えられ、開発が進行された。最初の計画では、1350馬力の中高度用液冷V型12気筒M-106エンジンを搭載して高度6000 mにおいて最高速度620 km/h、着陸速度120 km/h、航続距離600 km、飛行上限高度11~12 km、高度10000 mまでの到達時間9~11分、武装は12.7 mm機銃BSを1挺と高速射撃用の7.62 mm機銃ShKASを2挺となっていた。

I-26初号機であるI-26-Iの組み立ては1939年10月1日にモスクワの第115工場で開始された。一方、搭載が予定されていたM-106エンジンは最初のM-106-Iの組み立てが第26工場で行われ、発表によれば最初の試験が1940年2月に実施され、その後4月には二度目の試験が行われた。しかしながら、このエンジンは完成が間に合わなくなったため、I-26は急遽、同クラスだが出力が1050~1100馬力に落ちるM-105Pを搭載する仕様に変更されることとなった。一方これに伴い武装は強化され、VISh-61油圧プロペラハブ上に20 mm機関砲であるShVAKが搭載されることとなった。主翼下面と尾部の3ヶ所にある降着装置は、主輪の一部が露出する引き込み式とされ、その上げ下げには空気圧が使用された。また、ジュラルミン製分割式フラップもそれ同様空気圧によって作動するものとされた。空気抵抗を減ずるため、グリコールを使用するラジエーターと潤滑油冷却器は主翼後縁下面に取り付けられたダクト内にまとめて収められた。I-26-Iのキャブレター空気取り入れ口は、機首部分下面ではなく主翼付け根下面に取り付けられていた。

I-26-Iの組み立ては12月27日に完了し、モスクワの中央飛行場(Центральный аэродром)へ送られた。完成したI-26は、それまでのポリカールポフ風の幅の広い寸詰まりの小型の胴体をもったソ連戦闘機とは一線を画す、優秀な速度性能を想起させるスマートな外貌をもって登場した。そのため、工場員からは「クラサーヴェツ」(Красавец)、つまり「美男子」と渾名された。

I-26-Iは、年の明けた1月5日より飛行試験に入り、1月13日には初めて完全な飛行を果たした。試験飛行における操縦は、試験工場の主任パイロットであるユリアーン・イヴァーノヴィチ・ピオントコーフスキイ (Юлиан Иванович Пионтковский) によって行われた。兵装や無線装置は搭載されずに行われた初飛行では、当時一般にまだ技術的に完成域に達していなかった引き込み式の降着装置も、雪氷の悪条件のなか順調に作動した。新型機の試験は緊張のなか続けられ、月内に10回の試験飛行が遂行された。だが、燃料系統が計画通りに働かないという事態が発生した。つまり、燃料系統のアルミニウム配管に疲労破壊が多発し、そのために飛行中に火災が度々発生した。また、空気圧系統も不調で、機銃射撃ができなくなったり、スライド式操縦席覆いが途中で引っ掛かって閉まらない、あるいは開かないということもしばしばあった。ピオントコーフスキイは、試作機体を守るために15回もの不時着陸を余儀なくされた。結局、再三に亙り燃料系統は作り直され、異なる潤滑油用ラジエーターが試された。ベアリングの過熱のためにエンジンは3度交換された。しかしながら、I-26-Iは成功しなかった。4月27日、I-26-Iはついに墜落し、ピオントコーフスキイの生命とともに機体は失われた。

2号機であるI-26-IIは、I-26-Iの墜落以前の3月26日に飛行状態となった。一方、4月11日には二人目のテストパイロットセルゲーイ・コルズィーンシチコフロシア語版が試験に迎えられた。工場試験で1機種に対し複数のテストパイロットをつけるのは、これが初めてのことであった。I-26-IIには、I-26-Iの試験で明らかになった欠陥を修正するための多くの改善点が盛り込まれていた。潤滑油冷却器は主翼付け根下面から機首の下へ移され、キャブレター空気取り入れ口を主翼付け根に分割、胴体幅はキャビンの後方で従来より拡大された。垂直尾翼の翼弦も広げられた。また、機体の軽量化と生産性と整備性の向上のための構造の簡略化として、降着装置のうち尾輪の引き込み装置を廃して固定式とした。

I-26-IIは、5月1日のメーデーで初飛行を行った。I-26-IIはコルズィーンシチコフの操縦により602 km/hの最高速度を記録したこともあったが、通常は590~595 km/hに留まった。試験はコルズィーンシチコフのほか何人かのテストパイロットによって行われた。その後、I-26-IIは、1940年6月にはI-180やI-28(Yak-5の試作名称)、I-200(MiG-1の試作名称)、I-301(LaGG-1の試作名称)と比較試験され、模擬戦において優れた成績を出した。

I-26-IIの試験は赤軍航空軍科学試験研究所 (NII VVS KA;Научно-испытательный институт (НИИ) ВВС КА) へ移され、6月10日よりピョートル・ステファノーフスキイロシア語版 らによって厳しい国家試験が継続された。しかしながら、差し迫った戦局からその実戦配備が急がれ、機体は完成の域に達しないまま量産へと向かっていった。12月9日に試験されたI-26-IIIでは、M-105PエンジンとVISh-61プロペラが組み合わされた。この試験では基本的に好成績を収めたが、なお組み立てやシステムの不具合を指摘され、それらを解決した上でI-26はYak-1の正式名称のもと量産に移されることとなった。

生産と配備

量産型Yak-1は、翌1941年に初飛行した。大祖国戦争(独ソ戦)緒戦においてドイツ戦闘機に大敗を喫したソ連空軍は、イギリスアメリカ合衆国から戦闘機を輸入するとともに各設計局へ新型機の生産を急がせたが、いずれの機体も諸々の不具合や欠陥を露呈し、また工場の疎開に伴う混乱から、生産の遅れと機体規格の完全な不統一といった問題が生じた。もっとも順調な生産成績を出していたYak-1でさえ、まったく同規格の機体がひとつも存在しないというほど生産ラインは混乱した。生産は、当初はモスクワのレニングラート大通り(レニングラーツキイ・プロスペークト)にあるヤコヴレフ設計局に隣接するGAZ-301とサラトフのGAZ-292の2ヶ所の工場で開始された。だが、1941年秋以降のドイツ軍のロシア侵攻により、生産ラインはスヴェルドロフスク州カメンスク・ウラルスキーのGAZ-286へ、さらに1942年後期にはノヴォシビルスクのGAZ-153へと疎開を余儀なくされた。GAZ-153ではそれまでLaGG-3の製造が行われていたが、この戦闘機の不具合と生産の遅れによりYak-1へ生産ラインが回されたのであった。

生産されたYak-1では、機体設計上の欠陥や複雑な構造のための組み立て上の不手際から離着陸時や飛行中の事故が多発し、また戦闘時に機体構造に起因する不利も生じたため多くの改修が現場の判断で取り入れられていった。特に、Yak-1の高い着陸速度は初心者には高すぎる操縦技術を必要とし、失速による墜落や過速度によるオーバーランなど多くの事故を招いた。Yak-1では、離着陸時の操縦が最も難しいとされた。[要出典]


  1. ^ 「M」は「モトール」(мотор:「発動機」の意味)を意味していたが、のちに設計者ウラジーミル・クリーモフロシア語版のイニシャルをとったVK-105 (ВК-105) に改称された。





英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「Yak-1 (航空機)」の関連用語

Yak-1 (航空機)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Yak-1 (航空機)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのYak-1 (航空機) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS