阿部健治郎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/06 10:04 UTC 版)
阿部 健治郎 七段 | |
---|---|
名前 | 阿部 健治郎 |
生年月日 | 1989年2月25日(35歳) |
プロ入り年月日 | 2009年10月1日(20歳) |
棋士番号 | 277 |
出身地 | 山形県酒田市 |
所属 | 日本将棋連盟(関東) |
師匠 | 西村一義九段 |
段位 | 七段 |
棋士DB | 阿部 健治郎 |
戦績 | |
一般棋戦優勝回数 | 1回 |
2022年3月4日現在 |
棋歴
5歳の頃、父親と兄が将棋を指しているところを見て、自然と覚える[1]。小学1年の時から土岐田勝弘アマ八段(棋道師範)[2]が地元で主宰する土岐田将棋道場に通う[2]。
2001年、酒田市立第三中学1年生のときに第22回全国中学生選抜将棋選手権大会[注釈 1]で準優勝[3][4]。翌2002年に奨励会入会試験で合格し入会。三段昇段までは3年で駆け抜けたが、三段リーグでややもたつき四段昇段には8期(4年間)を要した。なお、酒田南高等学校を卒業後上京している[2]。
2009年10月にプロ入り後は一転して快進撃を見せ、初参加の第23期(2010年度)竜王戦(竜王ランキング戦6組)では準優勝し、1期で5組昇級(プロ入りから最短タイ)を決める。第41期新人王戦でも決勝進出し、決勝三番勝負では史上初めてアマチュアで決勝進出した加來博洋を2勝1敗で下し、棋戦初優勝を果たした。また、第19期銀河戦では予選を突破すると、本戦のEブロックで7連勝を決め決勝トーナメントに進出した(1回戦で羽生善治に敗れる)。
2011年度は、第24期竜王戦5組ランキング戦でベスト4進出、昇級者決定戦でも勝利して4組に昇級し、竜王戦連続昇級で五段に昇段した。第70期順位戦C級2組では10戦全勝でC級1組への昇級を決める。
2015年には第41期棋王戦にて予選から勝ち上がり挑戦者決定トーナメントに進出。トーナメントでも名人含む4冠の羽生善治やA級棋士である久保利明や広瀬章人らを破りベスト4入り。この羽生を破った一局が将棋大賞の名局賞特別賞に選ばれた。
また、同年の第28期竜王戦においては、3組昇級者決定戦にて3位に入り2組昇級が決定。自身の段位も六段に昇段。さらに翌2016年第29期竜王戦・2組ランキング戦準決勝にて松尾歩に勝利し、竜王戦1組昇級が決定(ランキング戦決勝では郷田真隆に敗れ準優勝。本戦では3組優勝者の永瀬拓矢に勝利するが、準々決勝で1組3位の久保利明に敗北)。六段昇段から僅か半年足らずで七段にスピード昇段を果たした。竜王戦では2021年現在まで1組に所属・活躍していて、31期~33期と35期では5位決定戦の1回戦で高橋道雄・丸山忠久・広瀬章人・佐々木勇気にそれぞれ勝利しており、錚々たる面子[注釈 2]を2組へ降級させている。
2017年5月から活動の拠点を東京から故里の酒田に移した[5]。
2020年、第61期王位戦では予選を勝ち抜き、初の王位リーグ入り。しかし、5戦全敗での陥落となった。
棋風
居飛車党で、どちらかといえば攻め将棋である。
注釈
出典
- ^ a b 新四段誕生のお知らせ(日本将棋連盟)
- ^ a b c “阿部さん(酒田出身)プロ棋士に 県内から26年ぶり、地元で祝賀会”. 荘内日報. (2009年10月12日) 2017年9月21日閲覧。
- ^ 第22回全国中学生選抜将棋選手権大会男子決勝トーナメント(日本将棋連盟)
- ^ “第37回全国中学生選抜将棋選手権大会で優勝 渡邉 東英くん - 山形のフリーペーパー やまがたコミュニティ新聞 ONLINE”. www.yamacomi.com. 2022年8月8日閲覧。
- ^ “酒田から高みへ一手 将棋・阿部健治郎七段、故郷に拠点”. 山形新聞. (2017年7月21日) 2017年9月21日閲覧。
- ^ 将棋世界2012年5月号p.139
- ^ 日本将棋連盟東北研修会 開設のお知らせ - 日本将棋連盟(2020年11月17日)
- ^ 『週刊文春』令和4年2月24日号「『マスクをはずすと負け』将棋新ルールに反対棋士の言い分」
- ^ 山形県庁・広報web・ 障がい者福祉「マスクをつけたくてもつけられない方がいます」(2021年9月21日)など
- 1 阿部健治郎とは
- 2 阿部健治郎の概要
- 3 人物・エピソード
- 4 著書
固有名詞の分類
- 阿部健治郎のページへのリンク