阿毘達磨倶舎論 阿毘達磨倶舎論の概要

阿毘達磨倶舎論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/01 03:06 UTC 版)

仏教用語
アビダルマ・コーシャ
サンスクリット語 Abhidharmakośa-bhāsya
(IAST: Abhidharmakośakā)
チベット語 ཆོས་མངོན་པའི་མཛོད་་
(chos mngon pa'i mdzod)
中国語 阿毗達磨俱舍論
阿毗达磨俱舍论
日本語 阿毘達磨倶舎論
(ローマ字: Abidatsuma-kusharon)
韓国語 아비달마구사론
(RR: Abidalma-Gusaron)
英語 Sheath of Abhidharma
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サンスクリット原典のほかに、2種類の漢訳本とチベット語訳本が現存している。漢訳本は、一方は真諦訳『阿毘達磨倶舍釋論』(略称『倶舎釈論』)22巻であり[4]、もう一方は玄奘訳『阿毘達磨倶舍論』(略称『倶舎論』)30巻である[5][6][7][注 2]倶舎宗が伝統的に後者の玄奘訳を用いてきたため、玄奘訳に基づく呼称『倶舎論』が浸透した[6][8]。真諦訳は『旧倶舎』『旧訳』とも呼称され区別された[9]

20世紀にサンスクリット原典が発見されてからは、漢訳に依らない研究が行われている。

概要

ヴァスバンドゥ(世親)が作成した『アビダルマ・コーシャ・カーリカー』(: Abhidharma-kośa-kārikā)の598偈の本頌に、ヴァスバンドゥ自ら註釈(自註)を書き加えたものが『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』(: Abhidharma-kośa-bhāṣya)である。玄奘が漢訳する際には、『アビダルマ・コーシャ・カーリカー』を『阿毘逹磨倶舍論本頌』[10]と訳し、『アビダルマ・コーシャ・バーシャ』を『阿毘達磨倶舍論』と訳した。したがって、『倶舎論』とは厳密にはその注釈部分(バーシャ、長行釈)のことである。

アビダルマ」の語義については複数の解釈があるが、『阿毘逹磨倶舎論』の自注によれば、「阿毘達磨」 (abhidharma, アビダルマ) とは、 "abhi+dharma" であり、それぞれ「対」と「法」と訳され、「法に関して」という意味である[11]。また、「倶舎」(kośa, コーシャ)とは入れ物、蔵、宝物庫の意味である。漢訳の際には、以上のように、意味を訳すのではなく音写によって訳された。よって、阿毘達磨倶舎はアビダルマ・コーシャ(: Abhidharma-kośa)の音写であり、「アビダルマを収蔵する蔵」もしくは「アビダルマという蔵から取り出されたもの」という意味である[12]対法蔵とも訳される[12]。『アビダルマ・コーシャ』が『阿毘達磨倶舎論』とみなされることもある[13][14]

本書の思想史上の位置付けとしては、以下のように複数の見解がある。

仏教学者の櫻部建は、説一切有部のアビダルマ論書が多数世に現れたのちにその業績を継承して、その上にさらに新しい進展を加え、およそアビダルマ論書の一つの完成態というものを示した[15]ものであると述べている。また、経量部の論書として理解しようとする見解もある。

一方で、本書の特徴は説一切有部の伝統的な一部の教理に対して、経量部の立場から批判が加えられている点にある、という見解もある[6][16]。このような世親の立場は古来においては「理長為宗」や「拠理為宗」と表現された[17]。そして世親のこれらの経部的見解は、いずれもカシミール有部の伝統的な教理解釈とは相反する内容であった。故に、伝統的な教理を尊んだ衆賢は『順正理論』を著し『倶舎論』を論駁した。

20世紀になって発見されたイーシュヴァラの『アビダルマディーパ』は、有部の立場から『倶舎論』における世親を「大乗転向者」として非難している[18]。近年の研究では世親の言及する「先規範師」(Pūrvācāryāḥ)の立場の多くは唯識派の文献にトレースできることが指摘されている[19][20][21]。兵藤一夫は、世親が本論を著した当時からすでに唯識家だったという積極的根拠は認められないと述べている[22]

説一切有部の教義は、カーティヤーヤニープトラ(迦多衍尼子)の『ジュニャーナプラスターナ』Jñānaprasthāna[23], 発智論)[注 3]によって確立する[24]。この『ジュニャーナプラスターナ』を注釈した論書に『マハー・ヴィバーシャ』(『大毘婆沙論』)[注 4]がある。倶舎論は『大毘婆沙論』の厖大な内容[注 5]を巧妙に要約している、とも説明される[6][24]

本書はその骨格を『雑阿毘曇心論』に基づくことが古来より指摘されており[注 6]、ゆえに、単なる『大毘婆沙論』の綱要書と認識するのは不適切である[25]。また、『甘露味論』との関係が吟味されている[26]

テキスト

サンスクリット原典(梵本)は、旧来は称友による註釈部分しか存在しなかったが、サキャ派のゴル寺(Ngor Monastery)でRāhula Sāṅkṛtyāyanaによって1934年に発見された。後に1946年にはゴーカレー(V.V. Gokhale)によって『本頌』の梵本がとして校訂発表され、1967年にはプラダン(P. Pradhan)によって『釈』の全体が校訂出版された[27]

梵本の他に、『本頌』にはチベット訳が1つ、漢訳1種が現存している。

  • 【漢訳】大正1560『阿毘逹磨倶舍論本頌』玄奘651年
  • 【蔵訳】北京版5590, 東北版(デルゲ版)4089, Chos mngon pa'i mdsod kyi tshig le'ur byas pa

梵本の他に、『釈』にもチベット訳が1つと、漢訳2種が現存している。

  • 【漢訳1】大正1558『阿毘逹磨倶舍論』玄奘訳30巻651年
  • 【漢訳2】大正1559『阿毘逹磨倶舍釋論』真諦訳22巻564年
  • 【蔵訳】北京版5591, 東北版(デルゲ版)4090, Chos mngon pa'i mdsod kyi bshad pa

また、『本頌』『釈』共にウイグル語訳の断片が発見され、研究されている[28]


注釈

  1. ^ 単に『アビダルマ・コーシャ』(: Abhidharma-kośa)と呼称することも。
  2. ^ 漢訳本の正式な表記(旧字体表記)は「舎」字ではなく「舍」字である。
  3. ^ 玄奘による『ジュニャーナプラスターナ』の漢訳は、迦多衍尼子造 玄奘譯 『阿毘達磨發智論』(『大正藏』毘曇部 Vol. 26 No.1544)
  4. ^ 玄奘による『マハー・ヴィバーシャ』の漢訳は、五百大阿羅漢造 玄奘譯 『阿毘達磨大毘婆沙論』(『大正藏』毘曇部 Vol. 27 No.1545)
  5. ^ 厖大な内容 - 玄奘訳『阿毘達磨大毘婆沙論』は全200巻。
  6. ^ この点については江戸時代の学僧である林常快道 (1751-1810) が『阿毘逹磨倶舎論法義』において既に指摘している点である。Cf.『望月仏教辞典』p. 52
  7. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0030a12 - 13「論曰。因有六種。一能作因。二倶有因。三同類因。四相應因。五遍行因。六異熟因。」(T1558以下の数字は本記事「外部リンク」掲載の大正大蔵経データベースでの行番号:以下同)
  8. ^ この点については称友釈において詳説される[36]
  9. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0030a17 - 19「一切有爲唯除自體以一切法爲能作因。由彼生時無障住故。雖餘因性亦能作因。」
  10. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0030b15 - 17「第二倶有因相云何。頌曰 倶有互爲果 如大相所相 心於心隨轉」(注:「大」とは四大種(四元素:地、水、火、風)のこと(分別界品第一T1558_.29.0003a28)。「相」とは有為法の四相(生、住、異、滅:分別根品第二之三 T1558_.29.0027a13)のこと。「所相」とは相をもつ本法のこと。心隨轉とは、心所(下記「相応因」の注参照)のこと。
  11. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0031a18 - 24「第三同類因相云何。頌曰 同類因相似 自部地前生 道展轉九地 唯等勝爲果 加行生亦然 聞思所成等 論曰。同類因者。謂相似法與相似法爲同類因。」
  12. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0032b24 - 26「第四相應因相云何。頌曰 相應因決定 心心所同依 論曰。唯心心所是相應因。」「心(しん)」はものに対するこころ自体のこと。五位(色、心、心所、心不相応行、無為)のひとつ(分別根品第二之二 T1558_.29.0018b17 - 18)。「心所(しんじょ)」は心の作用のこと。倶舎論では46種類に分類される(大地法10種、大善地法10種、大不善地法2種、大煩悩地法6種、小煩悩地法10種、不定法8種:分別根品第二之二 T1558_.29.0019a08 - )。
  13. ^ 見苦所断の五見(有身見、辺執見、邪見、見取、戒禁取)、疑、無明、および見集所断の邪見、見取、疑、無明。
  14. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0032c13 - 16「第五遍行因相云何。頌曰 遍行謂前遍 爲同地染因。」
  15. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0033a03 - 05「第六異熟因相云何。頌曰 異熟因不善 及善唯有漏 論曰。唯諸不善及善有漏是異熟因。」
  16. ^ 分別根品第二之四 T1558_.29.0033a06 - 11

出典

  1. ^ ブリタニカ国際大百科事典』(コトバンク)
  2. ^ 日本大百科全書』(コトバンク)
  3. ^ 岩本裕 『日本佛教語辞典』平凡社、1988年。P.205「倶舎論」
  4. ^ 婆藪盤豆造 眞諦譯 『阿毘達磨倶舍釋論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1559)
  5. ^ 世親造 玄奘譯 『阿毘達磨倶舍論』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1558)
  6. ^ a b c d 『岩波仏教辞典』P.250「『倶舎論』」
  7. ^ 櫻部・上山 2006, p. 20.
  8. ^ 小原仁 『源信』P.72 第三章 学窓の日々「倶舎をきわめる」
  9. ^ 『望月仏教辞典』p. 52, 『大蔵経全解説大辞典』 p. 428
  10. ^ 世親菩薩造 三藏法師玄奘奉詔譯 『阿毘達磨倶舍論本頌』(『大正藏』毘曇部 Vol.29 No.1560)
  11. ^ 桜部建『倶舎論の研究 界・根品』(法蔵館、1969年
  12. ^ a b 櫻部 2002, p. 9.
  13. ^ 世界大百科事典『アビダルマコーシャ』 - コトバンク
  14. ^ 櫻部・上山 2006, p. 262.
  15. ^ 櫻部・上山 2006, p. 19-20.
  16. ^ 三枝充悳 『世親』P.157「著作の概観」
  17. ^ 木村誠司[2013]「『倶舎論』にまつわる噂の真相」『駒沢大学仏教学部研究紀要』 (71), 242-224
  18. ^ 三友 2005, pp. 627–629.
  19. ^ 袴谷 1986, pp. 864–859.
  20. ^ 松田 1985, pp. 752–750.
  21. ^ Robert Kritzer[2005]Vasubandhu and the Yogācārabhūmi : Yogācāra elements in the Abhidharmakośabhāṣya(Studia philologica Buddhica, . Monograph series ; 18)International Institute for Buddhist Studies of the International College for Postgraduate Buddhist Studies, 2005
  22. ^ 兵藤 一夫[2002]「経量部師としてのヤショーミトラ」, 『初期仏教からアビダルマへ:桜部建博士喜寿記念論集』.2002-05-20, 315-336
  23. ^ 「仏典は書き換えられるのか? : 『大毘婆沙論』における「有別意趣」の考察を通して」、印度學佛教學研究 63(3), p.1287, 2015-03-25
  24. ^ a b 三枝充悳 『世親』P.91 II-1『倶舎論』における思想「概説」
  25. ^ 田中教照[1976]「修行道論より見た阿毘達磨論書の新古について」, 仏教研究 通号 5, 1976-03-31, 41-54
  26. ^ 西村実測[2002]『アビダルマ教学』
  27. ^ 櫻部 2002, pp. 14–18.
  28. ^ Masahiro Shōgaito[2014]The Uighur Abhidharmakośabhāṣya : preserved at the Museum of Ethnography in Stockholm.(Turcologica / herausgegeben von Lars Johanson, Bd. 99) Harrassowitz, 2014
  29. ^ a b c d e f g h i j k 櫻部 2006, p. 19.
  30. ^ a b c d e f g h i 櫻部 2006, p. 21.
  31. ^ a b 櫻部 2006, p. 22.
  32. ^ a b 櫻部 2006, p. 23.
  33. ^ a b c 櫻部 2006, p. 24.
  34. ^ a b 櫻部 2006, p. 25.
  35. ^ a b 櫻部 2002, p. 97.
  36. ^ Abhidharmakośavyākhyā. pp.188-189
  37. ^ cf. 櫻部[1969 pp. 113-114]『倶舎論の研究』法蔵館
  38. ^ a b c d e 櫻部 2002, p. 98.
  39. ^ a b c 櫻部・上山 2006, p. 81.
  40. ^ a b 櫻部・上山 2006, pp. 81–82.
  41. ^ 櫻部 2002, p. 99.
  42. ^ 分別根品第二之五 T1558_.29.0036b10〜11、T1558_.29.0036b14〜16
  43. ^ 櫻部・上山 2006, p. 85.
  44. ^ 櫻部・上山 2006, p. 80.
  45. ^ 船橋水哉「倶舎論概説」(東方書院 1934年) P28
  46. ^ 船橋水哉「倶舎論概説」(東方書院 1934年)P34
  47. ^ 櫻部・上山 2006, p. 84.
  48. ^ 櫻部 1981, p. 73.
  49. ^ 櫻部・上山 2006, pp. 84–85.
  50. ^ 船橋水哉「倶舎論概説」(東方書院 1934年) P34
  51. ^ 櫻部 2002, p. 100.
  52. ^ 村上専精「三論玄義講義」(哲学館大学 1875年) P122〜123
  53. ^ 三省堂 大辞林
  54. ^ 櫻部・上山 2006, p. 310.
  55. ^ 櫻部・上山 2006, p. 78.
  56. ^ 箕浦 2002, pp. 897.
  57. ^ 「落謝」 - 精選版 日本国語大辞典、小学館。
  58. ^ 櫻部・上山 2006, pp. 85-86、142.
  59. ^ 箕浦 2002, pp. 897–896.
  60. ^ 櫻部 2002, pp. 40–41.
  61. ^ a b c 櫻部 2002, p. 12.
  62. ^ 櫻部 2002, pp. 38–39.
  63. ^ 櫻部 2002, pp. 39–40.


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