金沢城
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/19 10:11 UTC 版)
構造
典型的な平山城で、本丸、二の丸、三の丸、新丸、北の丸、玉泉院丸の曲輪があった。1602年、落雷により天守閣を焼失後は再建されず、代わりに三階櫓が建てられた。これは、当時の加賀藩が江戸幕府と緊張関係にあり、大名の力を象徴する天守に徳川家が目を光らせていたために天守を再建しづらかったためである[18]。
1631年の寛永の大火後は二の丸が城の中枢となり二の丸御殿が藩主の居所となった。城の周囲には、大手堀、いもり堀、百間堀(ひゃっけんぼり)、白鳥堀(はくちょうぼり)が存在した。保存状態が良いのは大手堀のみで、他の3つの堀は明治時代末から大正時代にかけて埋め立てられ道路になった。このうち、いもり堀は道路の関係で半分の堀幅で復元され、2010年に再び水が張られた。百間堀は明治44年に水が抜かれて百間堀通り(百万石通りの一部)となった。石川門と兼六園をつなぐ石川橋は、その際コンクリートアーチ橋に再建されたもので、それ以前は土橋であった。白鳥堀は緑化され、歩行者専用の白鳥路(はくちょうろ)として市民の散策路になっている。又、石川門高麗門の右横には、九十間長屋も焼失前はあった。
藩主の正式な登城経路は、大手門(新丸)→桐木門(新丸)→河北門(三の丸)→橋爪門(二の丸)→二の丸御殿となる。石川門や鼠多門、土橋門、車橋門、裏口門は搦手門(裏門)であった。大手門、桐木門は櫓門ではなく石川門高麗門のような高麗門1棟と土塀だけだった。又、他に城外から城内に入るルートとしては、西丁口門→土橋門→裏口門と金谷門→鼠多門→松坂門があった。
城外には東西の内外計4本の惣構堀(そうがまえぼり)が掘られていた。惣構堀は後に用水路として転用されている部分が多い。兼六園内の山崎山は、惣構外郭土塁の一部であり[19]、その南側の池は水堀の名残りである。
金沢城はあまり堅固な城とは言えず、有事の際は城下町にて敵を迎え撃つための軍事拠点として城下3ヵ所に寺院群が設けられた。そのうちのひとつ、寺町寺院群の妙立寺(通称:忍者寺)の井戸には城内に通じる抜け穴がある。
橋爪門続櫓の中央には武器や食料などの物資を2階へ荷揚げするための大きく広い吹き抜けの構造になっていた。橋爪門続櫓が木造復元された時、昔の荷揚げ用の吹き抜けの空間の構造はそのままに再現されている。
瓦には冬の積雪に耐えられるように軽量な鉛瓦が用いられた。有事の際には鉄砲弾の原材料に転用可能である。
二の丸御殿は3200坪で表向(1200坪)、御居間廻り(1000坪)、奥向(1000坪)の三つに分類されていて表向は藩主の政務や儀礼をする場で豪華な障壁画や金具飾りがあり、御居間廻りは藩主が生活をする場で一部2階の部分があり、奥向は藩主の正室(正妻)・側室(側女)・子女・腰元らや女中等が生活をする場で一部2階の部分があった。
注釈
出典
- ^ “金沢城跡・珠洲陶器窯跡”. 石川県 (2012年10月16日). 2013年4月3日閲覧。
- ^ 『高野山正智院聖教目録』に文明13年10月8日条「加州金沢惣持寺」
- ^ 瀬戸薫「金沢城と前田利家」『加能史料研究』第20号、2008年。/所収:大西 2016
- ^ 大西 2016, pp. 14–16, 「織豊期前田氏権力の形成と展開」.
- ^ 武井弘一「第三章 文化期の気候と加賀藩農政」『気候変動から読み直す日本史6 近世の列島を俯瞰する』中塚武 監修、臨川書店、2020年11月30日、94-98頁。全国書誌番号:23471480
- ^ 金沢の新名所「金沢城・玉泉院丸庭園」開園-石垣背景にライトアップも(2015年3月18日、金沢経済新聞)2020年7月13日閲覧
- ^ 平成29年4月23日 金沢城公園 鶴の丸休憩館 オープン(2017年6月1日、石川県)2020年7月13日閲覧
- ^ 金沢城公園と尾山神社を結ぶ鼠多門橋 東京五輪までの完成目指す(2018年10月8日、北陸朝日放送)2020年7月13日閲覧
- ^ 鼠多門、開く 橋も完成、18日供用開始 金沢城公園(2020年7月18日、北陸新幹線で行こう!北陸・信越観光ナビ(北國新聞))2020年7月19日閲覧
- ^ 鼠多門・鼠多門橋が完成 史実を尊重し木造復元を進める(2020年7月17日、北陸朝日放送)2020年7月19日閲覧
- ^ 石川県 (2022年2月1日). “金沢城二の丸御殿表向の復元整備に向けた取り組みについて”. 石川県. 2022年12月18日閲覧。
- ^ “金沢城公園の「御城印」 なまこ壁、辰巳用水デザイン:北陸中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年1月2日閲覧。
- ^ “金沢城公園「二の丸情報館」の開館、「御城印」の 販売開始セレモニーの実施について”. 石川県. 2024年1月2日閲覧。
- ^ “金沢城の石垣4カ所が崩落 能登半島地震で、臨時閉園|全国のニュース|北國新聞”. 北國新聞 (2024年1月2日). 2024年1月2日閲覧。
- ^ “地震による閉園のお知らせ|お知らせ|金沢城と兼六園日記”. www.siro-niwa.com. 2024年1月2日閲覧。
- ^ “地震による金沢城公園夜間開園及びライトアップ中止のおしらせ|お知らせ|金沢城と兼六園日記”. www.siro-niwa.com. 2024年1月2日閲覧。
- ^ “令和6年能登半島地震に伴う史跡金沢城跡の石垣被災地点”. 石川県教育委員会金沢城調査研究所. 2024年2月14日閲覧。
- ^ 「謎多き加賀百万石の居城 城郭建築の美を感じる金沢城」『石川のトリセツ』昭文社、2021年2月1日、70-71頁。
- ^ 金沢城惣構跡
- ^ a b ご利用案内(石川県金沢城・兼六園管理事務所)2020年7月13日閲覧
- ^ 兼六園プラスワン利用券(石川県公式ページ)2020年7月13日閲覧
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