葛飾郡 葛飾郡の概要

葛飾郡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/11 06:49 UTC 版)

東京府・埼玉県・千葉県・茨城県葛飾郡の範囲(薄赤:後に東京市に編入された区域)

江戸時代初期に西半分(葛西)が分割され武蔵国へ移され、武蔵国葛飾郡が発足した。

1868年には現在の東京都(当時の東京府)を除いた地域で葛飾県が設置された。1878年郡区町村編制法の制定により、同年に一部が東葛飾郡西葛飾郡南葛飾郡に、翌1879年に残部が北葛飾郡中葛飾郡となり消滅した(東京都区部の「葛飾区」についても参照)。


  1. ^ 江戸川の社会史、pp.52-53、松戸市立博物館編著、同成社、2005年1月31日発行、ISBN 4-88621-311-1 「古代に行政区画が作られたときには、江戸川の両岸は葛飾郡という一つの地域だった。川が境界になるばかりでなく、川の両側が一つのまとまりとして認識されていた。」執筆者は、松尾昌彦(松戸市立博物館学芸員)
  2. ^ 渡良瀬川はその後の利根川東遷事業によって、江戸川(古くは、太日川(おおいがわ又はふといがわ・太日河))となった。
  3. ^ 葛飾の歴史”. 2021年3月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月30日閲覧。
  4. ^ 万葉集 巻9 挽歌 9-1807 「鶏が鳴く 東の国に 古へに ありけることと 今までに 絶えず言ひける 勝鹿の 真間の手児名が 麻衣に 青衿着け ひたさ麻を 裳には織り着て 髪だにも 掻きは梳らず 沓をだに はかず行けども 錦綾の 中に包める 斎ひ子も 妹にしかめや 望月の 足れる面わに 花のごと 笑みて立てれば 夏虫の 火に入るがごと 港入りに 舟漕ぐごとく 行きかぐれ 人の言ふ時 いくばくも 生けらじものを 何すとか 身をたな知りて 波の音の 騒く港の 奥城に 妹が臥やせる 遠き代に ありけることを 昨日しも 見けむがごとも 思ほゆるかも」。
  5. ^ この国境の武蔵国側は現在の加須市(小野袋、向古河、旗井、琴寄、北大桑、川口)および古利根川の西岸。
  6. ^ a b c スカイツリー634m 一考 - 武蔵・下総の国境、隅田川”. 2012年1月21日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年9月16日閲覧。;谷口榮「『東京35区』の境界線を歩く」東京人353号(2015年5月);これらによれば、牛島・永代島は、江戸時代に干拓に伴い下総国および葛飾郡と地続きとなり現在に至る。
  7. ^ 区内中央に大河が流れていた」(押上一丁目仲町会)
  8. ^ したがって中世までは現在の隅田川東岸の牛島(墨田区向島、吾妻橋、東駒形ほか)、永代島(江東区永代、佐賀、福住)も豊島郡に属した。
  9. ^ 村数の数え方には諸説あり、「角川日本地名大辞典」の記述では「旧高旧領取調帳」では武蔵国289村・12万3,595石、下総国340村・12万4,316石とある。


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