聖神社 (秩父市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/06 18:12 UTC 版)
社殿
本殿は一間社流造銅板葺。1709年(宝永6年)から1710年(宝永7年)にかけ、大宮郷(現秩父市)の工匠である大曽根与兵衛により市内中町の今宮神社の本殿として建立された。
1964年(昭和39年)に当神社社殿として移築された。
彫刻に安土・桃山時代の遺風が僅かに残り、秩父市内における江戸時代中期の建造物として優れている事から[13]、1965年(昭和40年)1月25日に秩父市有形文化財(建造物)となる。
拝殿は方3間の入母屋造平入銅板葺。
境内社
- 本殿左脇に大国主命を祀る和銅出雲神社が鎮座する。11月3日に例祭が斎行され、黒谷の獅子舞が奉納される。
1964年(昭和39年)に旧本殿(1807年(文化4年)の竣工)を移築したもので、一間社流造銅板葺、向拝中央に唐破風、脇障子に彫刻を飾る。
- 本殿右脇には、八坂神社が鎮座する。
- 本殿裏山には、山神社が鎮座する。
文化財
埼玉県指定有形文化財
秩父市指定有形文化財
- 聖神社社殿1棟(元 今宮神社社殿)…有形文化財(建物)
- 黒谷の獅子舞…無形民俗文化財
その他
- 和銅(ニギアカガネ) - 創建当時に採掘された和銅と伝えられる。
- 百足1対 - 元明天皇から下賜されたとされる雌雄1対の和銅製百足像[15]。
- 百足は当神社の眷属とされ[16]、百足が地下鉱脈を表すとの説[17]や、毘沙門天の神使とされる事に由来する説もある事から[18]和銅鉱山道との関連性が指摘されている。
- 『抱朴子』の「登渉篇」でも採鉱者に百足を入れた竹管を携えて入山するよう奨める等、百足には鉱山業における信仰の形跡が認められる[19]。
- 和同開珎(和銅銭)
- 龍頭の面 - 左甚五郎が聖大明神(聖神社)に奉納したと伝えられる。質量分析により年代の特定が行われた。
交通
- ^ 『続日本紀』和銅元年正月乙巳(11日)条。
- ^ 『秩父郡神社明細帳』。
- ^ a b c d 『埼玉県の地名』。
- ^ 1塊は長さ2寸3分(約7センチ)・幅1寸5分(約4.5センチ)・厚さ1寸(約3センチ)・重さ120匁(約450グラム)であり、もう1塊は長さ1尺8寸7分(約57センチ)・幅6寸(約18センチ)・厚さ1寸5分・重さ4貫700匁(約18キロ)(『秩父郡市神社誌』)。
- ^ a b c d e f 千嶋寿「聖神社」(『日本の神々』所収)。
- ^ a b 秩父市教育委員会事務局文化財保護課. “和銅採掘遺跡”. 秩父市. 2022年9月20日閲覧。
- ^ 秩父市教育委員会事務局文化財保護課. “黒谷銅製錬所阯”. 秩父市. 2022年9月20日閲覧。
- ^ 秩父市教育委員会、秩父市の文化財「飯塚・招木古墳群」。
- ^ 『角川日本地名大辞典』。当地方を霖雨が襲った時に命がこれを止めんと登山して祈願したといい、その際に着ていた簑を山頂の松に掛けた事によって「簑山」と呼ばれるようになったという。
- ^ 吉田東伍『増補大日本地名辞書』武蔵国秩父郡条、冨山房、1980年(昭和55年)。
- ^ 『埼玉県報』《告示第729号》「秩父郡原谷村聖神社ヲ神饌幣帛料供進神社ニ指定」。
- ^ 秩父市教育委員会、秩父市の文化財「黒谷の獅子舞」。
- ^ 秩父市教育委員会、秩父市の文化財「聖神社社殿」。
- ^ 秩父市教育委員会、秩父市の文化財「蕨手刀」。
- ^ 1体は長さ5寸4分3厘(約16センチ)・幅3分5厘(約1センチ)・厚さ1分8厘(約5ミリ)・重さ17匁(約64グラム)・節足21節(右12本目と左15本目を欠落)であり、もう1体は幅・厚さ共に略等しく長さ4寸8分3厘(約15センチ)・重さ13匁(約49グラム)・節足19節(『秩父郡市神社誌』)。
- ^ 『角川日本地名大辞典』。
- ^ 若尾五雄「百足と金工」(『日本民俗学』第67号、1970年(昭和45年)所収)。
- ^ 谷川健一『青銅の神の足跡』(小学館ライブラリー69)、小学館、1995年。
- ^ 田島桂男「赤城神社」(『日本の神々』所収)。
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