石油食料交換プログラム 石油食料交換プログラムの概要

石油食料交換プログラム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/09 02:24 UTC 版)

このプログラムは、湾岸戦争の勃発にともなってサッダーム・フセイン政権下のイラク非武装化のために行われた経済制裁の影響が、イラクの一般市民に及びすぎている、という議論へ対抗する形で、アメリカ合衆国ビル・クリントン大統領政権により1995年に提案された。経済制裁が終了したのは、イラク戦争および連合国暫定当局への人道的支援引き継ぎが終了した後の、2003年11月21日であった。[3]

このプログラムが終了してから、プログラムの資金に関する18億ドル(約2000億円)を超える汚職が明らかになった[2]。後にアメリカ合衆国政府会計局(GAO)による調査では、汚職の一部(フセイン大統領の取り分)だけでも推定101億ドルと、1兆円を超える汚職であった可能性が指摘されるも、国連は調査協力を拒否した為に全容不明である。(後述GAO調査の項目参照)

背景・狙い

石油食料交換プログラムは、イラクのクウェート侵攻に伴う国連安保理決議661によって過度に疲弊した市民を救援する目的で実行された。

1991年8月15日、国連安保理決議706の採択によって、イラクは食料と交換の石油輸出が可能になった[4]

1991年9月19日の国連安保理決議712により、石油食料交換プログラムへの出資のために石油換算で160億ドルの輸出ができることが確認された[5]

イラクは最初は拒否していたものの、1996年5月に国連決議の実行手続きを行うための了解覚書に調印した。プログラムは1996年12月に開始され、最初の輸送食料は1997年5月に到着した。イラクの2600万人の人々のうち60パーセント1560万人が、石油食料交換プログラムによる食料に完全に依存していた。

このプログラムではエスクローシステムが採用されていた。イラクから輸出された石油に対する支払いは、イラク政府へではなく、買い手から2001年までBNPパリバ銀行に保有されたエスクロー口座へと支払われた。この金はその後クウェート・連合軍・国連活動への戦争賠償金へ充当された。残った大部分の金は、イラク政府が規制に合致した物資を買うために使うことができた。

イラク政府が購入を許可されたのは、経済制裁下で禁輸されていない物資のみであった。生鮮食料品などの特定の品目はすぐに輸送処理されたが、鉛筆や葉酸などの単純な品物も含め、大部分の物資は手続き中に再検査され、輸送が許可されるまでたいてい6週間ほどかかった。何らかの形で化学兵器・生物兵器・核兵器開発に使用される可能性がある物資は、その目的で使用する・しないにかかわらず送ることはできなかった。

金融上の分析

輸出量は金額にして650億ドルを超える。この財源のうち460億ドルが、経済制裁中のイラクの人々の食品・医薬品を始めとした人道的支援に使用されることになっていたが、かなりの金額が、補償基金を通じて湾岸戦争の賠償金(2000年12月以来25%)や、国連のプログラム管理・執行経費(2.2%)、兵器廃棄プログラムに使用された。イラク国内での公的な会計報告はされていない。[6]

初期の支援・批判

石油食料交換プログラムは、イラクに対する経済制裁のインパクトを和らげる方策と考えられていた。もっとも基本的な批判としては、このプログラムが一時しのぎの方策であり、サッダーム・フセインの立場を強化してフセイン政権の存続を助長しかねない、という批判があった。

もしも経済制裁がイラク人にとって耐えられないものであるなら、プログラムを導入するよりも経済制裁自体を(明らかに軍事用の物資を除いて)取りやめるべきだとする意見もあった。また、軍民両用(en:dual-use)設備のブロックがある以上、石油食料交換プログラムは経済制裁や1991年湾岸戦争によって破壊された浄水設備や医療システムの復旧をさまたげる、という批判や、このプログラムでは数百万人の死を避けるための食料や医薬品を輸入させることはできないとして、プログラムの基本に異を唱える意見もあった。ハンス・フォン・スポネックを始めとするプログラムの担当者は、経済制裁自体行うべきかについて疑問を発していた。スポネックは2001年末頃にカリフォルニア大学バークレー校で講義を行い、2001年6月にアメリカとイギリスによって提案された、プログラムに変わる新たな制裁「スマート・サンクション」について非難した。「現時点で何が提案されているかといえば、イラクの一般市民の首にかかったロープを締め付けることにすぎない。」と発言し、経済制裁によって一日に150人のイラクの子供たちが死んでいると主張し、さらにイラクが国連やOPECへの参加費支払いを拒絶して交渉の試みを断っているなど、アメリカとイギリスがイラクに対して傲慢になっていると批判した。

プログラムの支持者たちは、石油食料交換プログラムによって出兵することなくフセインを手詰まりに追い込み続けることができるという見方を示した。フランスとイラクはプログラムのさらなる自由化を主張したが、クリントン政権下のアメリカはこれに反対した。


  1. ^ 国連安全保障理事会 (1995年4月14日). “国際連合安全保障理事会決議986” (英語). undemocracy.com. 2009年5月27日閲覧。
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  6. ^ a b 国連、石油食料交換書類を支持” (英語). CNN.com (2004年3月3日). 2009年6月6日閲覧。
  7. ^ スウェーデンより報告:ノルウェー、イラクの贈収賄を関知” (英語). ワシントン・タイムズ (日付). 2006年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月4日閲覧。
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