琴棋書画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/14 14:40 UTC 版)
画
文人の画(画芸)というと文人画が有名である。これは明末の董其昌による画論『画禅室随筆』に「文人の画は王維から始まる」として唐代の王維をその始祖としたことによる。しかし、文人の画芸はさらにその淵源を遡ることができる。唐の張彦遠の『歴代名画記』には、画を得意とする文人が多数挙げられている。後漢では張衡・蔡邕・趙岐、魏の楊修・桓範・嵆康、蜀の諸葛亮、東晋の戴逵・王羲之・顧愷之など。いずれも著名な文人で専門の画工ではない。このように後漢以降に文人の中で画を得意とする者が多数存在したが、画の価値については一定の評価を得られていなかったと考えられる。盛唐の閻立本は殿中で画師として扱われたことを大いに恥じて顔を真っ赤にしたという逸話がある。宋以降にようやく文人の遊戯として定着した。画芸について東晋の顧愷之の『論画』、宋代の宗炳の『画山水序』・王微の『叙画』、斉の謝赫の『古画品録』などの画論でその理論が模索され、やがて気韻を貴ぶようになる。この価値基準の確立によって文人の画芸に対する関心は一層高まった。北宋の米芾は『画史』において書画鑑賞の本質的な意義は「清玩」することにあると述べているが書画の芸術性が社会に認識されたことを示している。このような背景の中、先の董其昌の画論では専門の画工によった院体画と対峙して文人画を位置づけている。文人画は飽くまで素人の余技であり、その精髄とも呼べる「気韻」は広く文人の間に受け入れられ、宋元以降、文人の趣味生活に深く浸透していった。
琴棋書画図
琴棋書画は東洋における伝統的な画題でもあり、唐以降の中国や安土桃山時代以降の日本でしばしば描かれた[1]。
脚注
琴棋書画と同じ種類の言葉
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