東京三菱銀行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/24 02:27 UTC 版)
概要
1996年4月1日に三菱グループ(旧三菱財閥)の三菱銀行と、外国為替専門銀行の東京銀行が合併して誕生。存続会社は三菱銀行であり、金融機関番号(0005)や本店所在地(東京都千代田区丸の内)も三菱銀行と同じであるが、SWIFTコードは東京銀行を承継した。
三菱グループを中心とする安定した国内取引先と、旧東京銀行の海外拠点を持ち合わせ、融資に厳格であったことから不良債権比率は都市銀行のなかで最小であった。金融システム危機の際も大蔵省の経営関与に攻防し、その際に注入された公的資金を金融再生プログラム真っ只中の2003年1月に完済した。みずほFG・三井住友銀行などがメガバンク化によって膨れ上がった不良債権処理に追われる中、もっとも強い都市銀行であるという評価がなされることが多かった。その一方で、前身行の大口取引先である兼松や三菱自動車に対しては役員を送り込み、経営再建を支援している。
300余りの国内店舗のほとんどは、三菱銀行時代から東京都・神奈川県を中心とした首都圏に偏重していた(MTFG2001年ディスクロージャー誌)。リテール部門では1999年8月に開始した「東京三菱ダイレクト」による24時間対応の外貨預金・投資信託取引や、残高段階型スーパー普通預金をベースにした「メインバンク総合サービス」、当初からセブン銀行(アイワイバンク銀行)とイーネット両陣営への参入、7大疾病保障付き住宅ローン(ビッグ&セブン)、スーパーICカード発行など先見の明を見せたり、個人向けローン金利を他の都市銀行より低く設定していた。その一方でUFJ銀行との合併まで東京都心以外の多くのATMは平日19時・土休日17時までの稼働であったり、ジェイデビットやフラット35を扱わない(三菱東京UFJ銀行より取扱開始)など、やや旧態化した一面もあった。
2005年10月1日に三菱東京フィナンシャル・グループ(MTFG)とUFJホールディングス(UFJHD)が合併して誕生した三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の傘下となった。当初、MTFGとUFJHDの合併に合わせてUFJ銀行と合併する予定であったが、みずほ銀行のシステムトラブルの実例から勘定系システム統合の体制を整える準備期間が必要と判断され延期となり、2006年1月1日付でUFJ銀行と合併し、三菱東京UFJ銀行(現在の三菱UFJ銀行)となった。
注釈
- ^ 室町支店は日本橋室町東地区開発、日本橋中央支店は日本橋一丁目中地区第一種市街地再開発事業に伴うもの。
- ^ 東京銀行大阪支店は、東京三菱銀行発足と同時に大阪淀屋橋営業部へ改称され、90年代終盤に大阪三菱ビルディングから移転してきた東京三菱銀行大阪支店(旧:三菱銀行大阪支店)に統合された。その後、三菱東京UFJ銀行発足と同時に同支店は大阪中央支店に改称された。
- ^ 三菱銀行が森村財閥の金融部門であった森村銀行を吸収した関係から親密である。
出典
- ^ 「学会マネー」研究会『創価学会財務部の内幕』 小学館〈小学館文庫〉、2000年7月1日;ISBN 978-4-0940-4571-0
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