村田珠光 村田珠光の概要

村田珠光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 07:04 UTC 版)

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村田珠光

「しゅこう」と濁らないとする説もある[1]

生涯

応永30年(1423年)奈良に出生。[2]。父は検校の村田杢市。幼名・茂吉、木一子。

11歳の時、奈良の浄土宗寺院称名寺に入り出家。[2]。僧名である「珠光」の名は、浄土三部経の一つ『観無量寿経』の語句「一々の珠、一々の光」からとられた[1]

20歳以前に称名寺を出る[2]。その後の経歴は不明。 応仁の乱の頃には、奈良に帰るが、称名寺には戻らずに、東大寺の近くの北川端町で、庵を営む。当時の北川端町は、民家もない田園だった(『奈良坊目拙解』)[3]

以前は還俗したとの説があり称名寺ですらそのようにHPに記載しているが[4]、『山科家礼記』[注釈 1]の文明18年(1486年)8月24日の記事に「珠光坊」との呼び名で登場することから、還俗はしなかったとされている[5]

僧であった珠光には子がなく、興福寺尊教院の下部(寺の雑務を行う寺男)だった宗珠を養子にした[2]

晩年に京都三条柳水町[6]に移り、文亀2年(1502年)5月15日、80歳で死去[1]

珠光の茶の湯

茶道史研究者の神津朝夫は、足利義政将軍など貴人との関わりでの珠光の茶道創始説を否定した。応仁の乱以前に成立したとされる『おようのあま』という物語、及びその絵巻(サントリー美術館蔵)に描かれた、主人公の老尼が遁世の法師を訪ねた時にお茶をもてなされた様子に、同じく遁世者だった珠光の茶の湯は似ていて、珠光も奈良へ帰還したときには田地の中の庵で同様の生活を送り、訪問者には茶を点てて、もてなしていたと推定される。この庵での様式が茶の湯の原型であり、これを高め追及して「わび茶」が創始されたと、指摘している[2][7]。物語の法師は独り住まいなので自らお茶を点て、蓋の割れた陶製の風炉釜、継ぎのある茶碗、竹の茶器、竹柄杓を使い、これらの茶道具は部屋から見える場所に置かれていた。このように、客の前で使われる風炉釜などの和物茶道具との調和のためには、《珠光茶碗》などの下手の唐物を使う必要があり、そのために、唐物名物を多く持つことはせず、「和漢この境を紛らわす」ことが重要だと考えたのではないか、と指摘している[2][8]

珠光が好んだとされる茶道具

珠光が好んだという伝来を持つ道具は多く、総称して「珠光名物」と呼ばれ、主なものは以下の通り。

  • 《珠光茶碗》
  • 《投頭巾茶入》
  • 《珠光文琳》
  • 《珠光香炉》
  • 《圜悟墨蹟》
  • 徐熙の《鷺の絵》

『山上宗二記』や『南方録』には、珠光が唐物の茶道具を多く所持していたと記載されている。これらの道具を所持したという事実が、珠光が還俗し商人になったという論の大きな根拠であった[9] 。これで「村田珠光」の名が流布した。しかし近年発見された天文年間の名物記『清玩名物記』では、掲載されている珠光旧蔵の道具は《珠光茶碗》4碗のみであった。天正16年(1588年)の『山上宗二記』に下ると多くの珠光旧蔵の道具が掲載され、この間に伝来品の記載の捏造が行われた可能性がある。また上記の『山科家礼記』の発見による、珠光が一生涯僧侶であったという説[5]の信憑性を高める結果ともなった。

珠光伝来とされる名物《珠光茶碗》とは、還元焼成で青くなるべき青磁が、技術的な不備で酸化焼成となり赤褐色になった、中国民窯製雑器である[10]}。その四つの《珠光茶碗》のうちの一つを千利休が購入し、若かった頃の茶会で使用している[11]


注釈

  1. ^ 山科家家令の大沢久守の日記[5]

出典

  1. ^ a b c 神津 2015, p. 205.
  2. ^ a b c d e f 神津朝夫「第三章二節」『茶の湯の歴史』角川学芸出版、2009年。
  3. ^ 神津 2015, p. 217.
  4. ^ 称名寺「村田珠光の紹介」2020年5月12日閲覧
  5. ^ a b c 永島 1993, p. 37.
  6. ^ 神津 2015, p. 225.
  7. ^ 神津 2015, pp. 212–217.
  8. ^ 神津 2012, pp. 183–184.
  9. ^ 神津 2015, pp. 208-209、233.
  10. ^ 神津 2015, p. 142.
  11. ^ 神津 2015, pp. 117-134、142-143、 233.
  12. ^ 神津 2015, pp. 229–230.
  13. ^ 熊倉功夫『茶の湯の歴史―千利休まで―』〈朝日選書〉、1990年。
  14. ^ 神津 2015, pp. 205–207.
  15. ^ a b 神津 2012, p. 178.
  16. ^ 神津 2012, pp. 181–182.
  17. ^ 神津 2012, p. 179.
  18. ^ 神津 2015, pp. 220–222.


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