心 (仏教)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 07:06 UTC 版)
説一切有部
説一切有部では、一切法を五位七十五法で分類する。そこでは心法(しんぼう、しんぽう)[6]と色法を全く別の存在とし[2]、根(認識器官のこと。六根)、境(認識対象のこと。六境)、識(認識主観のこと。六識)を厳密に区別した[2]。
種々ある心や心作用が複数組み合わさっておきるところに多様な心理があると解し、その中で中心となり、全体を捉える[7]ものを心王(しんのう)とよび、それと共におこる個々の心作用を心所(しんじょ、梵: caittaまたは梵: caitta[8])または心所有法(しんじょうほう[9])という。心王は(五蘊のうち)識にあたる[3]。心王に1種(六識一体[3])、心所に46種、また心不相応行(法)として14種、無為(法)として3種、合計75種を挙げ、五位七十五法と呼ぶ[10]。
経量部
一つの心(心王)が種々に作用する(心所と心王とは別に存在しない)と解する[3]。
唯識派・法相宗
唯識派では、色法も識(三科を参照。)が現し出したものとして、心の中に摂めている[2]。唯識派・法相宗の『成唯識論』では、心(citta)を
- 眼識/cakṣur vijñāna (cakkhu viññāṇa)
- 耳識/śrotra vijñāna (sota viññāṇa)
- 鼻識/ghrāṇa vijñāna (ghāna viññāṇa)
- 舌識/jihvā vijñāna (jivhā viññāṇa)
- 身識/kāya vijñāna (kāya viññāṇa)
- 意識/mano vijñāna (mano viññāṇa)
の「六識」ṣaḍ vijñānaに、
を加えた「八識」の8心法(心王[3])として表現する。また、心所は51が挙げられている[3]。
- ^ 大辞林
- ^ a b c d e 岩波仏教辞典 1989, p. 267.
- ^ a b c d e f 岩波仏教辞典 1989, p. 268.
- ^ Sue Hamilton, Identity and Experience. LUZAC Oriental, 1996, pages 105-106.
- ^ アルボムッレ・スマナサーラ; 藤本晃『ブッダの実践心理学 アビダンマ講義シリーズ―第2巻 心の分析』サンガ、2006年。ISBN 978-4901679169。
- ^ 『心法』 - コトバンク
- ^ 岩波仏教辞典 1989, p. 471.
- ^ 櫻部・上山 2006, p. 索引頁「仏教基本語彙(5)」.
- ^ 中村 2002, p. 96.
- ^ 櫻部・上山 2006, p. 68.
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