岬にての物語
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三島由紀夫と蕗谷虹児
『岬にての物語』は、三島の死の2年前の1968年(昭和43年)に、豪華限定版として再刊行されたが、その際の装幀として、出版社の川島勝は初山滋の「抽象的な色感あふれる絵」を頭の中に描いていたが、三島は、装幀を蕗谷虹児にしたいと要望した[9][13]。高畠華宵や加藤まさを風な少女像も魅力だが、蕗谷虹児の「様式美」の方が『岬にての物語』にふさわしいというのが三島の意見だったという[9]。
三島の名指しの依頼に蕗谷虹児は喜び、その蕗谷邸訪問の時にもらった色紙から、初めて蕗谷虹児が『花嫁人形』を作詞したと知った川島勝は、三島がそれを知っていて、あえてこの画家を選んだのだろうかと思い[9]、三島がこの装幀に蕗谷虹児の少女像を選んだことに、「妹(美津子)の死と失恋(三谷信の妹・邦子)と三島自身の青春への訣別が色濃く反映されていた」としている[9] [注釈 2]。
三島は蕗谷虹児について、その作品を〈幼ないころから親しんで来たもの〉とし、限定版『岬にての物語』の装幀画を以下のように語っている[8]。
注釈
出典
- ^ 「8月の日記から――21日のアリバイ」(読売新聞夕刊 1961年8月21日号)。「八月二十一日のアリバイ」と改題され『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)に収録。31巻 2003, pp. 613–615に所収
- ^ a b c d 山中剛史「岬にての物語」(事典 2000, pp. 363–365)
- ^ 「第三章」(梓 1996, pp. 48–102)
- ^ a b c 「I 青春――恋の破局」(村松 1990, pp. 78–97)
- ^ a b 井上隆史「作品目録――昭和21年」(42巻 2005, p. 387)
- ^ a b c d e 田中美代子「解題――岬にての物語」(16巻 2002, pp. 750–752)
- ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
- ^ a b c 「蕗谷虹児氏の少女像」(限定版『岬にての物語』牧羊社、1968年11月)。35巻 2003, p. 250に所収
- ^ a b c d e f 川島勝「三島由紀夫の豪華本」(9巻 2001月報)
- ^ a b 「跋に代へて(未刊短編集)」(1946年夏に執筆)。26巻 2003, pp. 587–589に所収
- ^ 「あとがき」(『三島由紀夫作品集5』新潮社、1954年1月)。28巻 2003, pp. 115–119に所収
- ^ 「私の遍歴時代」(東京新聞夕刊 1963年1月10日-5月23日号)。『私の遍歴時代』(講談社、1964年4月)、遍歴 1995, pp. 90–151、32巻 2003, pp. 271–323に所収
- ^ 「本の美学」(川島 1996, pp. 171–190)
- ^ 渡邊一夫「文芸時評・門前読経」(東京新聞 1946年12月1日号)。事典 2000, p. 364
- ^ a b 「第三章 早く来過ぎた遅参者――『盗賊』をめぐって――」(野口 1968, pp. 63–94)
- ^ 「II 遍歴時代の作品から――『仮面の告白』以前 3『岬にての物語』、『軽王子と衣通姫』と禁じられたもの」(田坂 1977, pp. 127–144)
- ^ a b c d 渡辺広士「解説」(岬・文庫 1978, pp. 325–330)
- ^ a b c 売野雅勇「言葉の音楽」(5巻 2001月報)
- ^ a b 筒井康隆「ダンヌンツィオに夢中」(文學界 1989年1月号)。『ダンヌンツィオに夢中』(中央公論社、1989年7月)、筒井 1999, pp. 15–64に所収
- 1 岬にての物語とは
- 2 岬にての物語の概要
- 3 三島由紀夫と蕗谷虹児
- 4 作品評価・研究
- 5 おもな収録刊行本
- 6 脚注
- 岬にての物語のページへのリンク