小山亮 小山亮の概要

小山亮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/27 06:07 UTC 版)

経歴

自由民権運動家で衆議院議員を務めた長野県小諸出身の小山久之助の次男として、東京市麹町に生まれる[1]。6歳の時に父が亡くなり、父の郷里である小諸に移る[1]。1912年3月、小諸町立小諸商工学校(現・長野県小諸商業高等学校)を卒業後上京し、父と知遇のあった大隈重信から援助を得て三重県立鳥羽商船学校(現・鳥羽商船高等専門学校)に入学したが1年で退学、新潟県立新潟商業学校(現・新潟県立新潟商業高等学校)の商船科に移ったがここもその年に退学し、1914年3月に愛媛県立弓削商船学校(現・弓削商船高等専門学校)に移り、1919年に卒業した[2][3]。鳥羽商船学校を退学した経緯について小山自身は「学生運動の先頭に立って(中略)退学させられた」と記している[4]。国際汽船の船員となり、海外航路に乗り組む[1][5]

1929年に退社して小諸に戻り、農村更生連盟を結成した[1]。1932年の第18回衆議院議員総選挙社会民衆党から立候補したが次点で落選、1936年の第19回衆議院議員総選挙に初当選した[1]。その後、1937年の第20回衆議院議員総選挙、1942年の第21回衆議院議員総選挙に連続当選する。第21回選挙では翼賛政治体制協議会の推薦を受け(いわゆる「翼賛候補」)、最高得票であった。この間、1940年に起きた斎藤隆夫の「反軍演説」による除名処分を契機に結成された聖戦貫徹議員連盟に参加[6]。衆議院では農村振興議員連盟や(国民)教育振興議員連盟を創設し[1][7]、後者では理事の一人であった[8]太平洋戦争中はペナンで「印度独立援助特務機関長」として宣撫工作に従事し、帰国後は大日本育英会(日本学生支援機構の前身の一つ)創設に関与した[1]。1945年に結成された護国同志会に参加。終戦後、公職追放を受ける。

1946年、旭海運を自ら設立[1]。1949年に尾道造船取締役会長、1954年から東京急行電鉄取締役を務める(東急の取締役は1964年まで)[1]。1955年2月の第27回衆議院議員総選挙長野2区から立候補して当選し、議員に復帰した。このときは無所属だったが、のちに日本社会党に入党。1958年5月の第28回衆議院議員総選挙では社会党の公認候補として出馬したが、次点で落選し、政界を退いた。自らの出身である海員関連では1951年に全国商船学校十一会(現・全日本船舶職員協会(全船協))が再結成されると会長に就任し、商船学校の高等学校移管や高等専門学校昇格などを支援した[9]

その後は日本内航海運協議会会長など海運関係や、日本育英会評議員などの教育関係の役職を歴任した[1]

1973年2月9日、直腸がんのため死去。

栄典


  1. ^ a b c d e f g h i j k 杉本恒「弔詞」『鳥羽商船同窓会報』1973年号、pp.14 - 15 [1]。筆者は小山の葬儀委員長
  2. ^ 本校ゆかりの人物 - 弓削商船高等専門学校[リンク切れ]
  3. ^ 卒業年について、「弔詞」は「大正7年」(1918年)と記す。
  4. ^ 『海と安全』1968年1月号 - 日本海難防止協会。18 - 19頁に掲載された「海陸両生の来歴」と題する小山の文章に言及がある。
  5. ^ 小山 亮 - コトバンク(出典は『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年)
  6. ^ 横関、2005年6月
  7. ^ 横関(2005年)では「国民教育振興議員連盟」と記載。
  8. ^ 横関、2005年7月
  9. ^ 三輪史郎「「全船協の歩みと今後」」『全船協』125号、全日本船舶職員協会、2014年5月
  10. ^ a b c d e 衆議院第87回戦時緊急措置法案(政府提出)委員会議録第三回 - 4ページ以下を参照。
  11. ^ 横関、2008年
  12. ^ 保阪正康『本土決戦幻想 コロネット作戦編』〈昭和史の大河を往く 第八集〉毎日新聞社、2009年、p.146。出典は横関(2008年)でも引証されている中谷武世の『戦時議会史』(民族と政治社、1974年)である。


「小山亮」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「小山亮」の関連用語

小山亮のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



小山亮のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの小山亮 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS