唐代三夷教
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脚注
参考文献
- 塚本善隆『世界の歴史4 唐とインド』中央公論社〈中公文庫〉、1974年12月。
- 岩村忍『世界の歴史5 西域とイスラム』中央公論社〈中公文庫〉、1975年1月。
- 礪波護「マニ教[中国]」『世界大百科事典27 マク-ムン』平凡社(編)、平凡社、1988年3月。ISBN 4-582-02200-6。
- 山本由美子「ゾロアスター教」『日本大百科全書』小学館(編)、小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。
- 中沢宣夫「ネストリウス派」『日本大百科全書』小学館(編)、小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。
- 加藤武「マニ教」『日本大百科全書』小学館(編)、小学館〈スーパーニッポニカProfessional Win版〉、2004年2月。ISBN 4099067459。
注釈
- ^ ネストリウスはラテン語式表記で、ネストリオスはギリシア語式の表記である。
- ^ 「阿羅本」には、アラボン、オロボン、アロペン等複数の音があてられる。英語表記はAlopenである。唐の太宗は、阿羅本を宰相の房玄齢に長安郊外まで出迎えさせたといわれる。
- ^ 「大秦」とは、ローマ帝国のことを意味している。したがって、この改名は、ネストリウス派の起源がペルシアではなくローマ(東ローマ)であることを正しく認識したことに拠っている。
- ^ 佶和は、景教尊経に「宜和吉思法王」と記されている。
- ^ 「大秦景教流行中国碑」が発見されたのは、明末のことである。
- ^ 『水滸伝』は明代成立の伝奇的な歴史小説。作者は施耐庵あるいは羅貫中。「中国四大奇書」のひとつ。
参照
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