印地 印地の概要

印地

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/04 05:40 UTC 版)

また投石技術でこの技術に熟達した者を、印地打ち(印地撃ち)、印地使い(印地遣い)等とも呼んだ。印地の使い手を印地と呼んだり、技術や行為を印地打ちと呼ぶこともある。印字因地伊牟地とも書かれる。

歴史

日本における石を用いた投弾・飛礫は、弥生時代を通じて見られ[1]、この時期の出土品は北部九州に多く、また土製も見られる[1]。民族例では、棒や紐による遠心力を利用して、射程が100メートルを超え[1]、上達すると350 - 450メートルも飛ばせる[2]先史時代朝鮮半島でも同様に石製と土製が見られる(前同)。投弾用石器の近くからはアホウドリなどの群鳥の骨が出土することもあり、狩猟用の可能性もある[3]

文献上、「印地」の語が表れるのは、『平家物語』巻八の「向かえ飛礫、印地」であるが[4]、「飛礫(つぶて)」の語の方が古く、10世紀後半成立の『宇津保物語』内の「かかる飛礫どもして方々にぞ、打たせ給へる」がある[4]。諸説あるものの、印地の語源については、「石打ち」の略とされる[5]。これ以前にも、律令時代では、人力ではなく、てこの原理を利用した投石機(いわゆる匙の形をしたカタパルト)として、「抛石(ほうせき、抛は「ほうる」の意)」が見られる[6] ことから、投石が戦場で利用されていたことがわかる(人力の投石器と違い、構造物の破壊を目的とする)。

白河天皇期(11世紀)においては、僧兵強訴の手段の一つで、神意をあらわすものとして、飛礫が飛んだ[7]。飛礫を人為ならざるものに因を求める考え方として、天狗礫がみられる。

13世紀となると、京都では職能民としての飛礫を打つ「印地の党」がみられるようになる[8]網野善彦は著書『東と西の語る 日本の歴史』において、弓矢の道が発展した東国に対し、飛礫といった投石は、「西国的な兵法」とする(後述、同時代の東国では石合戦が規制されていた影響もある)[9]

戦争以外の規制については、鎌倉時代(13世紀)の関東では武家法によって規制化が進んだが、京では遅れていたことが『吾妻鑑』に記述されている(石合戦の脚注も参照)。

戦国時代における例としては、京の祇園会(祇園祭)は現代と違って殺伐としており、荒々しい雰囲気の中で行われるのが常であり、印地打ち・飛礫などに伴った喧嘩・刃傷がのべつ起こった[10] とされ、祭に際して喧嘩の原因となっている。

近世江戸期の『和漢三才図会』(上・寺島良安編 東京美術)の「兵器」の項には、飛礫は「豆布天」とも記すとし、長さ5尺(150センチメートルほど)の竹の先に縄をつないだ投石器(守城用)の説明と図が見られ、近世では禁令停止されているとする。近世において、全国的に禁令になった理由として、京都の三条河原などで賀茂川をはさみ、子供達が印地打ちをしているところへ、賀茂の競馬の帰りの人が仲間に加わって、大騒ぎとなったため、寛永年間(1624 - 1643年)になり、禁令が出されたとされる[11]

弥生期の投弾用の石は、形状としてはラグビーボールを小さくしたもので、長さ3 - 5センチメートル、幅2 - 3センチメートル、重さにして、20 - 30グラム[12]

軍用に加工した飛礫種は、約3(約9cm)の平たい丸石で縁欠いてある。

上泉信綱伝の『訓閲集』(大江家兵法書を戦国風に改めた兵書)巻五「攻城・守城」における石打ちの記述として、小さい物は1人2つ持ち、大きい物は1つ持ち、丸石がよいとある。


  1. ^ a b c 『別冊歴史読本48 日本古代史[争乱]の最前線 戦乱と政争の謎を解く』 新人物往来社 1998年 p.27
  2. ^ 山岸良二松尾光 『争乱の日本古代史』 廣済堂 1995年 p.35
  3. ^ 甲元真之・山崎純男 『弥生時代の知識 考古学シリーズ5』 東京美術 1984年 p.126
  4. ^ a b 『広辞苑』
  5. ^ 大間知篤三 他多数 編 『民俗の事典』 岩崎美術社 1972年 p.73
  6. ^ 『別冊歴史読本48 日本古代史[争乱]の最前線』 新人物往来社 1998年 p.225
  7. ^ 網野善彦 『日本社会の歴史 (中)』 岩波新書 第6刷1998年 p.57
  8. ^ 網野善彦 『日本社会の歴史 (中)』 p.132
  9. ^ 網野善彦 『東と西の語る 日本の歴史』(講談社学術文庫 10刷2001年 p.258)
  10. ^ 網野善彦 『飛礫覚書』日本思想体系月報28号、今谷明 『戦国時代の貴族』 講談社学術文庫 2002年 p.297
  11. ^ 『民俗の事典』 岩崎美術社 1972年 p.73
  12. ^ 甲元真之・山崎純男 『弥生時代の知識 考古学シリーズ5』 東京美術 1984年 p.124
  13. ^ 西角井正慶編 『年中行事事典』(東京堂出版 、1958年5月23日初版) p.70
  14. ^ a b c 『民俗の事典』(岩崎美術社、1972年) p.73
  15. ^ 『神道行法の本 日本の霊統を貫く神祇奉祭の秘事』(学研、2005年) p.172
  16. ^ 磯田道史 『日本史の探偵手帳』 文春文庫 2019年 p.74
  17. ^ 『争乱の日本古代史』 p.35
  18. ^ 網野善彦『日本論の視座 列島の社会と国家』(小学館、 2004年) p.252
  19. ^ 網野善彦『日本論の視座』 p.252


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