八百屋お七 脚注

八百屋お七

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 08:54 UTC 版)

脚注

注釈

  1. ^ 『天和笑委集』の写本である『新燕石十種』では生田庄之助ではなく、庄之介と表記されている。
  2. ^ ただし、『御仕置裁許張』は江戸幕府によって作られたものであるが判例集として作られたものなので必ずしもすべての事件を網羅しているとは限らない。『天和笑委集』や西鶴『好色五人女』によると八百屋お七の事件は天和3年(1683年)のことで西鶴の好色五人女が書かれたのは貞享3年(1686年)のことだが、江戸幕府が作成した判例集『御仕置裁許張』ではおそらくは元禄4年(1691年)のこととして江戸・市ヶ谷左内坂のお志ちという女が放火未遂の罪で火あぶりの刑になっていることが記録されている。市ヶ谷左内坂のお志ちの家の家主の名は久兵衛となっていて、久兵衛の名は正徳5年(1715年)から享保初年(1716年)ごろに成立した紀海音の『八百やお七』以降の主に演劇系作品で見られる八百屋お七の父親の名と同じである。尚、市ヶ谷のお志ちは人妻である。-出典『御仕置裁許帳』6巻「火を付る者之類丼投火仕者之類」の部、元禄3年-4年の記録、江戸幕府作成、国会図書館蔵書より および石井良助校正並編集『近世法制史料叢書.第1』訂正版、創文社、1959年、pp.194-195
  3. ^ 八百屋お七物語は江戸時代だけで小説が33部、歌舞伎が60番、浄瑠璃が20曲書かれ、さらに多数の草双紙(絵本)も発行されている。歌祭文、落語、舞踊、各種の郷土芸能などもあり、明治以降はさらに幅を広げている。竹野静雄 著『江戸の恋の万華鏡』新典社、2009年、pp.16-19
  4. ^ これらの要素はさまざまな作品の構想を取り入れたものであるが、特に『曽我物語』の影響の強さが指摘されている-竹野静雄「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』Vol.32、日本文学協会編集、1983年、pp.10-20
  5. ^ 小説の八百屋お七物のなかには江戸文学に分類される1群の作品群がある。これらは演劇作品を小説化したものであり、西鶴や海音を離れて独自発展した芝居を文学にフィードバックしたものであり、それらでは演劇における八百屋お七と同じでお七は放火せず、死罪にもならず、火事場もない。お七が武家奉公したり、敵討ちがあったりするが独自性に乏しく後続がたまに触れるくらいで文学の中で大きな位置は占めてはいない-竹野 静雄「八百屋お七物の輪郭--江戸小説を中心に」早稲田大学国文学会編集『国文学研究』85号、早稲田大学国文学会 発行、1985年pp.29-37
  6. ^ どこに放火したかについては西鶴は明確にしていない。
  7. ^ 現在の住所表示では文京区白山1丁目である。
  8. ^ 史実では天和元年の数十年前に亡くなっている人物。
  9. ^ 近世江都著聞集以外の八百屋お七物語では処刑は天和3年3月である。近世江都著聞集だけ、他の作品群とは年月が異なる。
  10. ^ 現在の文京区本郷6丁目。
  11. ^ お七が庄之介との交際を親にも内緒にしていたのは、身分の高い男との結婚を両親が望んでいたからである。庄之介への配慮と親への孝行で本当のことを言えないお七であった(丹羽みさと「天和笑委集の特徴」『立教大学日本文学』89号、立教大学日本文学会、2003年、pp.90-101)。
  12. ^ 刀や槍、棍棒など武器になる道具
  13. ^ 天和笑委集では「肌には羽二重の白小袖、甲州郡内の碁盤縞、浅黄の糸にて縫いたる定紋の三つ柏五ッ所に桃色の裏付けて一尺五寸の大振袖上に重ね、横幅広き紫帯二重にきりきりと引き回し後ろにて結び留め、襟際少し押し広げ、たけなる黒髪島田に結い上げ、銀覆輪に蒔絵書いたる玳瑁(タイマイ)の櫛にて前髪押さえ、紅粉を以って表(顔)をいろどる」と記述している。
  14. ^ 喜三郎の放火事件は天和3年2月に起こり江戸幕府の判例集である『御仕置裁許帳』にも載っている。喜三郎は自分の主人の家に放火し火刑になっている。-『御仕置裁許帳』巻六.火を付る者之類丼投火仕者之類 天和3年の項 『天和笑委集』にも13歳の喜三郎の放火事件について『御仕置裁許帳』とほぼ同趣旨のことが載っている。-『天和笑委集』10章。ただし、『御仕置裁許帳』では喜三郎の年齢は書いてない。
  15. ^ 通説では『伊達娘恋緋鹿子』が火の見櫓の嚆矢だが、それより30年前の延喜元年に市村座の記録に「お七櫓の太鼓打ち大当たり」という文字が残されているので火の見櫓に登るお七の新機軸は『伊達娘恋緋鹿子』よりはるか以前の可能性もある。-竹野 静雄「八百屋お七物の輪郭--江戸小説を中心に」早稲田大学国文学会編集『国文学研究』85号、早稲田大学国文学会 発行、1985年pp.29-37
  16. ^ 乱入者の観客や女性従業員は実は役者。このハプニングは各公演毎回で行われ、台本にあるわざと行うハプニングである。尚、ハプニングを装ったわずか数十秒程度の登場とはいえ本物の女性が歌舞伎座の舞台に上がるわけである。 -歌舞伎座DVD book『歌舞伎座さよなら公演 歌舞伎座さよなら公演16か月全記録. 第5巻 九月大歌舞伎・芸術祭十月大歌舞伎』小学館、2011年、付属解説書 pp.60-64およびDVD DISC 6
  17. ^ 「覗きからくり」はいくつかの種類はあるが、覗き穴のある箱の中で行われる手の込んだ紙芝居である。 古くは江戸時代の飴売りが客寄せの道具として用いた。近年(第二次大戦後の一時期)には神社の縁日などの露店の屋台や見世物小屋として存在した。3m以上にもなる大型の覗き箱のなかには正面に畳の大きさほどもある絵が何枚も紐でつるされ、側面には大道具や仕掛けを配置される。演者は説明の口上(からくり節)を述べながら、物語の進行と共に絵を切り替え仕掛けを操作する。また、棒などで操作する小型の人物絵も使用する。遠近法を強調した絵や配置による「浮き絵」の手法を用い、凸レンズを通して見ることで、それは21世紀の現代、これを見た子供たちが「まるで3Dのようだった」と感想を述べるようなものだった。 その他、たくさんの覗き穴が付いた箱の中に物語の進行順に何十枚もの絵が並べられ、客の方が次々に覗き穴を換えて絵を見ていくような形態の物など、バリエーションはいくつかある。 演目としては八百屋お七のほかに、石川五右衛門釜の淵、女盗賊お仙、忠臣蔵、小栗判官一代記、源頼光大江山入りなど、またその時代の文芸作品などがある。
    -出典
    • 坂井美香「飴売りと覗きからくり」『歴史民俗資料学研究』第15号、神奈川大学大学院歴史民俗資料学研究科、2010.3、pp.1-20
    • 林雅彦「絵解き・覗きからくり・立絵」『国文学 解釈と鑑賞』第76巻10号、ぎょうせい、2011.10、pp.32-33
    • 上島敏昭「のぞきからくり」『国文学 解釈と鑑賞』第76巻10号、ぎょうせい、2011.10、p.38
  18. ^ 寺は北海道松前に出張中の兄分から吉三郎を預かっている。吉三郎は若衆として兄分を持つ身(同性愛者として恋人をもつ身)でありながら女の情にほだされてしまったと自白する。以上、谷脇 理史 訳注『好色五人女』角川文庫、2008年、pp.272-275による。
  19. ^ もとは由緒正しい家柄だが、お七と出合った時点では浪人-天和笑委集『新燕石十種』第七巻、中央公論社、1982年、pp.191-221
  20. ^ ただし、為長太郎兵衛作『潤色江戸紫』では十内は吉三郎の伯父で牢役人であり、公側の立場でお七の家族などに仲介・折衝する役を務めるなど、作品によっては例外もある。出典 高橋圭一「八百屋お七とお奉行様」『江戸文学』29号、ペリカン社、2003年、p.55
  21. ^ 豊臣秀吉による小田原攻めの際、後北条氏の重臣であり八王子城落城のときに戦死を遂げた中山勘解由家範の来孫にあたる。
  22. ^ 一般には『鬼平犯科帳』の長谷川平蔵の火付盗賊改方で知られる役職であるが、天和3年の時点では火付改と盗賊改は分離していて、中山勘解由は初の火付改。-出典 吉川弘文堂『国史大辞典』11巻、p.938
  23. ^ 江戸幕府が作成した判例集『御仕置裁許帳』にも喜三郎の事件についての記載があり、内容は『天和笑委集』第10章の記述とほぼ同じであるが、『御仕置裁許帳』では喜三郎の年齢については触れていない。- 御仕置裁許帳 巻六.火を付る者之類丼投火仕者之類 天和3年の項
  24. ^ お七の事件の130年ほど後に書かれた曳尾庵著『我衣』ではストーリーは『近世江都著聞集』とまったく同じにした上で年月を少しずらし、奉行中山勘解由は17歳のお七を15歳だと偽ってお七を助けようとするが吉三郎の抵抗で失敗する。-中央公論社復刻本『燕石十種 第一巻』中央公論社、1980年、pp.223-224
  25. ^ 紀海音がお七を1666年の丙午生まれだとしながら、死亡時年齢を数えで16歳とするのは計算が間違っているという指摘は先人もしている-曠山人「八百屋お七考」復刻本集『西鶴研究資料集成 昭和13年・14年』竹野静男監修、クレス出版、2010年、pp.42-45

出典

  1. ^ a b c d e f g h 矢野公和「八百屋お七は実在したのか」『西鶴と浮世草子』Vol.4、笠間書院、2010年、pp.200-213
  2. ^ a b c d e f g 高橋圭一「八百屋お七とお奉行様」『江戸文学』29号、ペリカン社、2003年
  3. ^ 塚本学 校注・解説 戸田茂睡 著『御当代記 将軍綱吉の時代』平凡社、1998年、p.53
  4. ^ 黒木 喬 著『お七火事の謎を解く』教育出版、2001年、pp.153-154
  5. ^ a b c 塚本学 校注・解説 戸田茂睡 著『御当代記 将軍綱吉の時代』平凡社、1998年、pp.453-468(解説)
  6. ^ a b 吉川弘文館『国史大辞典』5巻、p.915
  7. ^ 高橋圭一「八百屋お七とお奉行様」『江戸文学』29号、ペリカン社、2003年、p.64
  8. ^ a b c d e f g h i j k l m 竹野 静男「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』Vol.32、日本文学協会編集、1983年、pp.10-20
  9. ^ a b 丹羽みさと「天和笑委集の特徴」『立教大学日本文学』89号、立教大学日本文学会、2002年、pp.90-101
  10. ^ a b c d e f g h 馬場文耕「近世江都著聞集」収録『燕石十種』第5巻、中央公論社、1980年、pp.10-18
  11. ^ 馬場文耕「近世江都著聞集」収録『燕石十種』第5巻、中央公論社、1980年、p.10、p.18
  12. ^ 馬場文耕「近世江都著聞集」収録『燕石十種』第5巻、中央公論社、1980年、p.12
  13. ^ 馬場文耕「近世江都著聞集」収録『燕石十種』第5巻、中央公論社、1980年、p.18
  14. ^ 馬場文耕「近世江都著聞集」収録『燕石十種』第5巻、中央公論社、1980年、pp.15-16
  15. ^ 塩村耕「『好色五人女』八百屋お七の謎」『国語と国文学』平成6年12月号、東京大学国語国文学会編、p.31
  16. ^ a b c d e f g h 井原西鶴 原著、吉行淳之介 現代語訳『好色五人女』河出書房新社、1979年
  17. ^ 多岐川恭 著「お七追慕」縄田一男 編『恋慕,時代小説の女たち』 収録、角川書店、1992年
  18. ^ 黒木 喬 著『お七火事の謎を解く』教育出版、2001年、pp.119-154
  19. ^ a b c d e f g h 天和笑委集『新燕石十種』第七巻、中央公論社、1982年、pp.191-223
  20. ^ 利根川 裕『歌舞伎ヒロインの誕生』右文書院、2007年、pp.186-187
  21. ^ a b c 竹野 静雄「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』Vol.32、日本文学協会編集、1983年、p.13
  22. ^ 笹本まり子「八百屋お七恋桜操芝居について」『叢』26号、近世文学研究叢の会、2005年、,p.179
  23. ^ a b 大曾根章助 他 編集『研究資料日本古典文学第10巻 劇文学』明治書院、1983年、p.288
  24. ^ 高野辰之、黒木勘蔵 校正『元禄歌舞伎傑作集』上巻、早稲田大学出版会、1925年、pp.751-779
  25. ^ 高野辰之、黒木勘蔵 校正『元禄歌舞伎傑作集』上巻、早稲田大学出版会、1925年、pp.752
  26. ^ 竹野 静雄「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』Vol.32、日本文学協会編集、1983年、p.13-19
  27. ^ a b c d e f g 日本古典文学全集『浄瑠璃集』横山正 校注・訳。小学館、1971年、pp.21-23,191
  28. ^ a b 日本古典文学全集『浄瑠璃集』横山正 校注・訳、小学館、1971年、p.214
  29. ^ a b 日本古典文学全集『浄瑠璃集』横山正 校注・訳。小学館、1971年、pp.21-23,191,193-243
  30. ^ a b c d e 『国立劇場歌舞伎公演上演台本 135巻』国立劇場、1986年
  31. ^ a b 目代清 著『近世歌舞伎舞踊作品-恋多き娘達』邦楽と舞踊社、2003年、pp.61-99
  32. ^ a b 国立劇場芸能調査室 編集『国立劇場上演資料集. 248巻 天竺徳兵衛韓噺・歌舞伎十八番の内嫐・松竹梅雪曙 第135回歌舞伎公演』国立劇場、1986年、pp.152-155
  33. ^ a b コトバンク・其往昔恋江戸染”. 2012年10月5日閲覧。
  34. ^ a b 利根川 裕『歌舞伎ヒロインの誕生』右文書院、2007年、pp.179-181
  35. ^ a b c d e 水落 潔 著『歌舞伎鑑賞辞典』東京堂、1993年、p.195
  36. ^ 目代 清 著『近世歌舞伎舞踊作品-恋多き娘達』邦楽と舞踊社、2003年、p.106
  37. ^ 渡辺保編『カブキハンドブック』新書館、1998年、p.53
  38. ^ a b c d e f g h i j k l m 歌舞伎座DVD book『歌舞伎座さよなら公演 歌舞伎座さよなら公演16か月全記録. 第5巻 九月大歌舞伎・芸術祭十月大歌舞伎』小学館、2011年、付属解説書 pp.60-64およびDVD DISC 6
  39. ^ 衛星劇場・伊達娘恋緋鹿子~櫓のお七”. 2012年9月19日閲覧。
  40. ^ 鶴屋南北 著 廣末 保 他編集『鶴屋南北全集』第8巻、三一書房、1972年、pp.139-221および解説 pp.533-535
  41. ^ 田口 章子 著『歌舞伎ギャラリー50』学研、2008年、ISBN 4054034993 、p.145
  42. ^ 双葉社スーパームック『歌舞伎がわかる本』、双葉社、2012年、ISBN 9784575452716、pp.74-75
  43. ^ a b c d サライ責任編集『十代目桂文治』昭和の名人完結編、小学館、2011年、pp.11-12および付属CD「八百屋お七」
  44. ^ a b 日本コロムビア制作CD『NHK 落語名人集(五)「昭和30年3月23日放送 柳亭痴楽 ライブCD」』及び保田武宏 著付属説明文、日本コロムビア
  45. ^ 落語あらすじ事典「お七の十」
  46. ^ 美内すずえ『ガラスの仮面』第36巻「火のエチュード」、白泉社、1989年
  47. ^ a b 竹野静雄「八百屋お七の地方伝承」芸能学会編『芸能』28巻1号、芸能発行所、1986.1、pp.16-21
  48. ^ 秋篠音楽堂伝統芸能部会 企画制作『大和の祭文音頭』DVD DISC2、2009年
  49. ^ 埼玉県・県政ニュース・埼玉県立歴史と民俗の博物館 「のぞきからくり~八百屋お七(やおやおしち)~」の特別公演 ―よみがえった100年前の3D見せ物興行― 2012.11.12閲覧
  50. ^ 横浜市歴史博物館・催し物案内・のぞきからくり「八百屋お七」 2012.11.12閲覧
  51. ^ 新潟市・西蒲区旧巻町巻郷土資料館事業について 2012.11.12閲覧
  52. ^ 西蒲区 のぞきからくり「八百屋お七」 屋台復活に喜びの声 4月28日、お披露目 新潟日報 (2012年3月22日掲載)
  53. ^ 八百屋お七 ふり袖月夜”. 映連データベース. 日本映画製作者連盟. 2012年10月15日閲覧。
  54. ^ 谷脇 理史 訳注『好色五人女』角川文庫、2008年、pp.272-275注釈
  55. ^ a b 竹野静雄「西鶴-海音の遺産 八百屋お七物の展開」『日本文学』vol.32、日本文学協会編集刊行、1983年、pp.10-11
  56. ^ a b c d e 黒木 喬 著『お七火事の謎を解く』教育出版、2001年、pp.130-132
  57. ^ 吉川弘文館『国史大辞典』11巻、p.938
  58. ^ 黒木 喬 著『お七火事の謎を解く』教育出版、2001年、pp.156-158
  59. ^ 朝倉治彦編『江戸方角安見図』東京堂出版、pp.80-81
  60. ^ 早稲田大学図書館・江戸方角安見図・本郷”. 2012年9月26日閲覧。
  61. ^ 吉川弘文館『国史大辞典』13巻、p.81
  62. ^ 笹沢佐保 著『狂乱春の夜の夢 松尾芭蕉と八百屋お七』光文社文庫、1992年、p.389
  63. ^ 安西篤子 著『歴史を彩った悪女才女賢女』 講談社、1985年、p.278
  64. ^ 吉川弘文館『国史大辞典』10巻、p.9
  65. ^ a b c 加茂瑞穂「八百屋お七からお嬢吉三へ衣装デザインの創造について」『アートリサーチ』Vol.11、立命館大学アートリサーチセンター、2011年
  66. ^ 長崎巌監修、弓岡勝美編集『きものの文様図鑑』平凡社、2005年、p.196
  67. ^ a b 市川 染五郎 監修、君野倫子 著『歌舞伎のびっくり満喫図鑑』小学館、2010年、pp.6-7
  68. ^ 目代 清 著『近世歌舞伎舞踊作品-恋多き娘達』邦楽と舞踊社、2003年、pp.120,123-124
  69. ^ 日本古典文学全集『浄瑠璃集』横山正 校注・訳。小学館、1971年、p.240
  70. ^ a b c 高橋圭一「八百屋お七とお奉行様」『江戸文学』29号、ペリカン社、2003年、pp.52-62
  71. ^ 石井 良助『日本法制史概説』創文社、1960年、p.485
  72. ^ 朝倉治彦 編『江戸方角安見図』東京堂出版、p.78右下隅
  73. ^ 早稲田大学図書館・江戸方角安見図・駒込一(右下隅)”. 2012年9月26日閲覧。「正泉院」は現代の文京区向丘2丁目であり同じ区画内の十方寺は現存する。右下の交差点が現在の向丘2丁目交差点であり、左下の方に見える「ふじ権現」が現在の駒込富士神社である。
  74. ^ 目代 清 著『近世歌舞伎舞踊作品-恋多き娘達』邦楽と舞踊社、2003年、p.75
  75. ^ 品川観光協会
  76. ^ 目黒区大円寺
  77. ^ 境内散歩”. 長妙寺. 2012年9月18日閲覧。
  78. ^ 密厳院の歴史”. 密厳院. 2012年11月22日閲覧。
  79. ^ 渡辺憲司「江戸サブカル紀行」『大衆文化』創刊準備号、立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター、2008年、pp.57-62
  80. ^ 岡本 綺堂. “夢のお七”. 青空文庫. 2012年10月16日閲覧。
  81. ^ 大和高田市HP・伝説民話・八百屋お七”. 2012年9月23日閲覧。
  82. ^ 小林計一郎『善光寺さん』1973年3月5日銀河書房発行全289頁中257頁
  83. ^ 立川昭二「江戸時代における異常気象とインフルエンザ」『日本医史学雑誌』日本医史学会編集・発行、1975年、pp191-202
  84. ^ weybackアーカイブ「朝日新聞・昭和史再訪セレクション・ひのえうま」、元記事は2010年12月18日朝日新聞夕刊紙面”. 2012年9月20日閲覧。
  85. ^ 東京消防庁・消防雑学”. 2012年9月20日閲覧。
  86. ^ 赤林英夫「丙午世代のその後-統計から分かること」” (PDF). 2013年5月30日閲覧。
  87. ^ 江戸東京たてもの園・2007年初春の雅 2012.9.20閲覧
  88. ^ 日本古典文学全集『浄瑠璃集』横山正 校注・訳。小学館、1971年、p.243
  89. ^ 日本古典文学全集『浄瑠璃集』横山正 校注・訳、小学館、1971年、p.239







八百屋お七と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「八百屋お七」の関連用語

八百屋お七のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



八百屋お七のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの八百屋お七 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS