中国行きのスロウ・ボート
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/17 14:03 UTC 版)
概要
1983年5月18日、中央公論社で刊行され[1](2024年2月に復刊)、1986年1月に中公文庫で再刊された(1997年4月に改版)。
表紙の絵は安西水丸。収録された7編の作品のうち、「中国行きのスロウ・ボート」、「貧乏な叔母さんの話」、「ニューヨーク炭鉱の悲劇」、「カンガルー通信」、「午後の最後の芝生」の5編がこれまでに英訳されている。それらは『The Elephant Vanishes』(クノップフ社、1993年)と『Blind Willow, Sleeping Woman』(クノップフ社、2006年)の2冊の短編集で読むことができる。
表紙
単行本としては、安西が村上と最初に組んだ作品である[2]。表紙の絵について安西は「ぼくはいつもの絵の中で、いちばん強い印象があると思っている線をはずしてみた。絵柄は皿にのった二つの西洋梨にした。見つめているとだんだん見えてくるような絵になったらいいと思った」と述べている[3]。
村上は読者からの質問に対し、ウェブサイト上で「僕は『中国行きのスロウ・ボート』の表紙を最初に見たときの驚きが忘れられません。ほんとうにセンスの良い、素晴らしい絵でした。担当編集者は『これのどこがいいの?』と首をひねっていましたが、わからない人にはわからないんだなあと、つくづく思いました。」と答えている[4]。
中国行きのスロウ・ボート
『海』1980年4月号に掲載された。
単行本収録時に書き直され[注 1]、1990年9月刊行の『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻に収録される際にも、大幅な加筆修正がなされた。
村上の他の多くの作品同様、本作も内容を決めずに題名だけ考えて書き始められた。「もちろん例のソニー・ロリンズの演奏で有名な『オン・ナ・スロウ・ボート・トゥ・チャイナ』からタイトルを取った。僕はこの演奏と曲が大好きだからである。それ以外にはあまり意味はない。『中国行きのスロウ・ボート』という言葉からどんな小説が書けるのか、自分でもすごく興味があった」と村上は述べている[6]。そしてその曲(原題『(I'd Like to Get You on a) Slow Boat to China』フランク・レッサー)の歌詞[注 2]の一節がエピグラフに引用されている。
初めて書いた短編小説であるにもかかわらず、掲載誌の編集者[注 3]から書き直しは一切要求されなかったという[8]。
英訳
タイトル | A Slow Boat to China |
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翻訳 | アルフレッド・バーンバウム |
初出 | 『The Threepenny Review』1993年3月1日号 |
単行本 | 『The Elephant Vanishes』(クノップフ社、1993年3月) |
あらすじ
この節の加筆が望まれています。 |
貧乏な叔母さんの話
『新潮』1980年12月号に掲載された。
1990年9月刊行の『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻に収録される際、大幅な加筆修正がなされた。
著者にとっては2作目の短編小説にあたる。前作の「中国行きのスロウ・ボート」が掲載誌の編集者から書き直しを一切要求されなかった[9]のとは対照的に、本作は担当編集者と「何度も何度も討論を重ね、薄紙を重ねるように丁寧に書き直した」という[10]。「(注・初期の短編において)いちばん大きく書き直したのは『貧乏な叔母さんの話』だと思います」とも述べている[11]。本短編を担当した編集者はのちに『海辺のカフカ』や『1Q84』も担当した[12]。また、村上と安西水丸共著の『日出る国の工場』所収の「工場としての結婚式場」に「新郎・鈴木力・二六歳」として登場している。
英訳
タイトル | A "Poor Aunt" Story |
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翻訳 | ジェイ・ルービン |
初出 | 『ザ・ニューヨーカー』2001年12月3日号[13] |
単行本 | 『Blind Willow, Sleeping Woman』(クノップフ社、2006年7月) |
雑誌掲載時のタイトルは「A Poor-Aunt Story」だった。
あらすじ
「僕」は散歩の帰り、広場に腰を下ろし、連れと二人で一角獣の銅像をぼんやり見上げていた。梅雨が明けたばかりの爽かな風が緑の葉を震わせていた。誰かが芝生の上に置いたラジオから、失われた愛だとか、失われそうな愛だとかについての歌が風に乗って聞こえていた。そんな午後になぜか貧乏な叔母さんが「僕」の心を捉える。
8月の半ば、「僕」の背中には小さな貧乏な叔母さんが貼りついていた。ある友人にはそれは自分の母親であり、ある友人にとっては昨年の秋に食道ガンで死んだ秋田犬であり、ある不動産業者のとってはずっと昔の小学校の女教師であった。
「僕」はいくつかの雑誌の取材につきあわされ、テレビのモーニング・ショーに出た。テレビに出たあと、3カ月ぶりに連れに会った。
「彼女について何かわかってきた?」と彼女が言った。「それで、幾らかは書けたの?」
「いや」と「僕」は首を振った。「まるで書けない。もうずっと書けないかもしれない」
貧乏な叔母さんが「僕」の背中を離れたのは秋の終りだった。
注釈
- ^ 「僕」が第三の中国人と出会うことになる喫茶店での記述。「僕は(中略)コーヒーを注文し、買ったばかりの小説のページを繰っていた」[5]とあるが、雑誌掲載時は「ジョン・ル・カレの新しい小説」と明記されていた。
- ^ 村上はその後「中国行きのスロウ・ボート」の歌詞をすべて訳している[7]。
- ^ 当時『海』の編集部員であった安原顯。安原は2003年に亡くなるが、死後「生原稿流出問題」で一躍知られることになる。その顛末は村上のエッセイ「ある編集者の生と死――安原顯氏のこと」に詳しい。
- ^ 改変点は多岐にわたるが、特に後半の大晦日のパーティーの場面でそれは目立つ。例えばホステス役との会話は『村上春樹全作品』版ではすべて削除されている。
- ^ 『村上春樹全作品』版では、「かもしか」(傍点付き)は「鹿」に変更されている。
- ^ 『羊をめぐる冒険』では、主人公の「僕」とガール・フレンドが次のような会話を交わしている。「ああいう人ばかりが住んでいる場所があるんだよ。そこでは乳牛がやっとこを探しまわってるんだ」「なんだか『峠の我が家』みたいね」[15]
- ^ 占いに関して言えば、村上はエッセイで次のように回想している。「昔々、僕にもずいぶん暇な時代があった。あまりにも暇だったので、一人でカード占いの研究を始めた。専門書を買って読み込んでみたけど、あまりしっくり来なかったので、自分なりの簡単なシステムをこしらえ、まわりの友だちを相手に試してみた」[29]
- ^ 村上は自身のウェブサイトで次のように述べている。「僕は昔の蒲郡ホテルに冬場泊まって、牡蠣のフルコースを食べるのが好きでした。最初から最後まで牡蠣が出てくるんです。おいしかったな。けっこう値段も高くて、当時の僕としてはかなりの贅沢でした」[30]
出典
- ^ 中国行きのスロウ・ボート|単行本|中央公論新社
- ^ 最初の共作は『TODAY』1981年7月号に掲載された「鏡の中の夕焼け」である(『象工場のハッピーエンド』CBS・ソニー出版、1983年12月所収)。
- ^ 安西水丸「村上春樹さんについてのいろいろ」 『群像日本の作家 26 村上春樹』小学館、1997年5月所収。
- ^ どの「水丸さん装丁本」がお気に入りですか? (2015年2月26日) - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
- ^ 『中国行きのスロウ・ボート』中公文庫、旧版、32頁。
- ^ a b 『村上春樹全作品 1979~1989』第3巻、講談社、付録「自作を語る」。
- ^ 『村上ソングズ』中央公論新社、2007年12月。
- ^ 『文藝春秋』2006年4月号所収。村上春樹「ある編集者の生と死――安原顯氏のこと」。
- ^ 村上春樹「ある編集者の生と死――安原顯氏のこと」 『文藝春秋』2006年4月号所収。
- ^ 『村上春樹全作品 1979~1989』第3巻、付録「自作を語る」。
- ^ 書き直してみたい作品はありますか? (2015年3月8日) - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
- ^ 『少年カフカ』新潮社、2003年6月、297頁。
- ^ FICTION A POOR-AUNT STORY BY HARUKI MURAKAMI. December 3, 2001The New Yorker
- ^ FICTION NEW YORK MINING DISASTER BY HARUKI MURAKAMI. January 11, 1999The New Yorker
- ^ 『羊をめぐる冒険』上巻、講談社文庫、旧版、242頁。
- ^ 『村上春樹全作品 1979〜1989』収録版は、傍点や間投詞などがいくつか取り除かれている。
- ^ ジェイ・ルービン『ハルキ・ムラカミと言葉の音楽』新潮社、2006年9月、畔柳和代訳、417頁。
- ^ 村上春樹、安西水丸共著『スメルジャコフ対織田信長家臣団』朝日新聞社、2001年4月、読者&村上春樹フォーラム421。
- ^ 『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻、講談社、付録「自作を語る」。
- ^ 高橋丁未子・編『HAPPY JACK 鼠の心 ―村上春樹の研究読本』北宋社、1984年1月、25頁。
- ^ 内田樹の研究室 2005年7月
- ^ 内田樹は2007年9月に『村上春樹にご用心』(アルテスパブリッシング)を著した。これは村上春樹をひたすら絶賛するという本で、2010年には増補版も出版された。
- ^ 小川洋子『博士の本棚』新潮社、2007年7月、273頁 「『中国行きのスロウ・ボート』を開きたくなる時」。
- ^ 河出書房新社 編『市川準』河出書房新社、2009年、110頁。ISBN 978-4-309-01907-9。
- ^ 安西水丸『イラストレーション緊急増刊 安西水丸 青空の下』玄光社、2014年8月、24頁、34頁。
- ^ 湯川豊、小山鉄郎共著『村上春樹を読む午後』文藝春秋、2014年11月、201頁。
- ^ 村上春樹、安西水丸共著『夢のサーフシティー』、朝日新聞社、1998年7月、読者&村上春樹フォーラム91。
- ^ 『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻、講談社、1990年9月20日。付録「自作を語る」。
- ^ 『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』マガジンハウス、2012年7月、90頁。
- ^ 牡蠣をお勧めします (2015年2月13日) - 村上さんのところ/村上春樹 期間限定公式サイト
- ^ 『村上春樹全作品 1979〜1989』第3巻、付録「自作を語る」。
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