ムリーロ・ブスタマンチ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 15:50 UTC 版)
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本名 |
ムリーロ・ブスタマンチ (Murilo Bustamante) |
通称 | ブラジリアン柔術の匠 |
国籍 | ブラジル |
生年月日 | 1966年7月30日(55歳) |
出身地 |
ブラジル リオデジャネイロ州アルポラドル |
所属 |
カーウソン・グレイシー柔術 →ブラジリアン・トップチーム |
身長 | 185cm |
体重 | 83kg |
階級 | ミドル級、ウェルター級 |
バックボーン |
ブラジリアン柔術 (黒帯七段) ボクシング ルタ・リーブリ |
来歴
10歳からブラジリアン柔術を始め、カーウソン・グレイシーから黒帯を授与された。その後柔道、ボクシングを始めた。
1996年11月22日、イギリス・バーミンガムで行われたMARSリアリティー・トーナメント決勝戦でトム・エリクソンと対戦、圧倒的不利な体重差があるにもかかわらず、ドローに持ち込んだ。
2000年3月、アブダビコンバット99kg未満級に出場し、1回戦でマイク・ヴァン・アースデイルにポイント負け。
UFC
2002年1月11日、UFC 35のUFC世界ミドル級タイトルマッチで王者デイブ・メネーに挑戦し、パウンドでTKO勝ちを収め王座獲得に成功した。
2002年5月10日、UFC 37のUFC世界ミドル級タイトルマッチで挑戦者のマット・リンドランドと対戦。1ラウンド早々にブスタマンチは腕ひしぎ十字固めを極めリンドランドはたまらずタップ(リンドランド本人はタップの意思はなかったとしている)したが、それをレフェリーが見逃す誤審があり試合が続行されたが集中力を切らさず、3ラウンドにフロントチョークでタップアウト勝ちを収め初防衛に成功した。
PRIDE
2003年8月10日、PRIDE初参戦となったPRIDE GRANDPRIX 2003 開幕戦のミドル級(-93kg)グランプリ1回戦に負傷したヒカルド・アローナの代理として緊急出場。クイントン・"ランペイジ"・ジャクソンと対戦し、1-2の判定負け。PRIDEに出場したためUFC世界ミドル級王座を剥奪された。
2003年11月9日、PRIDE GRANDPRIX 2003 決勝戦のミドル級グランプリリザーブマッチでダン・ヘンダーソンと対戦し、パウンドでTKO負けを喫した。
2005年4月3日、ウェルター級(-83kg)転向初戦となったPRIDE 武士道 -其の六-で桜井隆多と対戦し、3-0の判定勝ち。
2005年9月25日、PRIDE 武士道 -其の九-のウェルター級トーナメント1回戦で須田匡昇、準決勝で美濃輪育久をそれぞれ破るも、2005年12月31日、PRIDE 男祭り 2005で行われた決勝戦でダン・ヘンダーソンに判定で敗れ準優勝に終わった。
2006年6月4日、PRIDE 武士道 -其の十一-のウェルター級グランプリ1回戦でアマール・スロエフと対戦し、0-3の判定負けを喫した。
2007年12月31日、やれんのか! 大晦日! 2007で瀧本誠と対戦し、1-2の判定負けを喫した。
2010年7月18日、Impact FCのジェシー・テイラー戦で2年半振りに復帰するも、2ラウンド途中に棄権してTKO負け[1]。
2年ぶりに2012年3月31日にAmazon Forest Combat 2に出場し、デイブ・メネーと対戦。3-0の判定の判定勝ちを収め、この試合を引退試合とした。
人物・エピソード
- 齢四十を越えながらも、これまで以上に打撃に磨きをかけ戦いに挑み続けている。本人曰く、「フランスのワインのように、年々旨みが増している」とのこと[2]。
- ^ 【Impact FC】ブスタマンチ、落日のバーバルタップ…… MMAPLANET 2010年7月18日
- ^ http://www.boutreview.com/data/reports05/070413deep.html
- 1 ムリーロ・ブスタマンチとは
- 2 ムリーロ・ブスタマンチの概要
- 3 戦績
- 4 獲得タイトル
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