ペトリカメラ ペトリカメラの概要

ペトリカメラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/22 13:53 UTC 版)

ペトリ7

会社概要

1907年(明治40年)に「栗林製作所」として創業。1917年に「栗林写真機械製作所」に名称変更し、写真機の製造を開始した。日本では小西六写真工業(現コニカミノルタ)に次ぎ写真機メーカーとして参入しスプリングカメラ二眼レフカメラを製造、皆川商店がそのブランド「ファースト」で販売していた。戦後は皆川商店と決別した[1]1959年10月にペトリペンタ一眼レフカメラに参入、1962年7月にペトリカメラに商号変更した[2]

1960年代には「ニコンのカメラと機能は一緒で価格は半値」という安価な製品を主力に据えたが、カメラが高価な道楽品という時代でもあり、かえって「安かろう悪かろう」というイメージが定着してしまった。この時期の製品はペトリV6に代表される独創的で斬新なデザインやメカニズム、そして破格の安さで知られる。前述の悪いイメージなどの結果他社との競合に負け、さらに末期は労働争議によるサボタージュ[要曖昧さ回避]等によって生産ラインも遅滞し、1977年10月(昭和52年)に倒産した[3]。その後労働組合総評全国金属)が「ペトリ工業株式会社」として存続させ、最終モデルとなるペトリMF10を送り出すものの旧態依然のスクリューマウントで電子化が遅れたカメラには全く競争力はなく、1980年代末のオートフォーカスカメラブームの中でカメラからは撤退した。 なお、会社自体は現存しており、ペトリ工業に社名変更した上で埼玉県北葛飾郡杉戸町で、大手メーカー向けの双眼鏡のOEM生産を手掛けている[4]

脚注

参考文献

  • 『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』朝日ソノラマ
  • 『クラシックカメラ専科No.9、35mm一眼レフカメラ』朝日ソノラマ

関連項目


  1. ^ 『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』p.112。
  2. ^ 『クラシックカメラ専科No.3、戦後国産カメラの歩み』p.67。
  3. ^ 『クラシックカメラ専科No.9、35mm一眼レフカメラ』p.104。
  4. ^ 会員名簿|工業会情報|一般社団法人日本望遠鏡工業会


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