ナジーム・ハメド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/23 02:50 UTC 版)
来歴
イングランドのシェフィールドでイエメン人の両親のもとに生まれる。幼少の頃にブレンダン・イングルのウィンコーバンクジムでボクシングをはじめた。
アマチュアボクシングを経験した後、1992年4月14日に18歳でプロデビュー。デビュー当時はフライ級であった。
1994年5月11日、ビンセンツォ・ベルカストロに判定勝ちし、EBU欧州バンタム級王座を獲得。
1994年10月12日、階級を上げ、WBCインターナショナルジュニアフェザー級王座決定戦でフレディ・クルスに6RTKO勝ちし、同王座を獲得。
1995年9月30日、更に階級を上げ、スティーブ・ロビンソンに8RTKO勝ちし、WBO世界フェザー級王座を獲得。
1997年2月8日、トム・ジョンソンに8RTKO勝ちし、IBF世界フェザー級王座を獲得。2団体統一に成功。IBF王座は2度防衛後の1997年9月に返上。
1998年4月18日、ウィルフレド・バスケスに7RTKO勝ち。バスケスはWBA世界フェザー級王者であったが、王座を返上してハメドとの試合に臨んだ。ハメドは実質的に3団体の王座を統一。
1999年10月22日、セサール・ソトに判定勝ちし、WBC世界フェザー級王座を獲得。再び2団体統一に成功するも、WBC王座は1度も防衛戦を行わずに返上。実質的に4団体の世界フェザー級王座を統一。
2000年10月、15度防衛したWBO世界フェザー級王座を返上。
2001年4月7日のマルコ・アントニオ・バレラとのIBO世界フェザー級王座決定戦に敗れプロ初敗北を喫した。その後再起戦が予定されていたが、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロが起き、世界的にアラブ系人物へのイメージが急速に悪化したため中止になった。
約13か月のブランクを経て2002年5月18日にマヌエル・カルボとのIBO世界フェザー級王座決定戦に判定勝ちし、同王座を獲得[2]。
2005年5月、英中部シェフィールド市内を速度約144km/hで運転し対向車と衝突、対向車の運転手に重傷を負わせた事件で2006年5月12日、英シェフィールド刑事法院から禁固1年3か月の実刑判決を言い渡された[3]。刑期満了で出所した後インタビューに応じる。服役中まったく練習しなかったせいか、かなり太っていた[4]。
2014年12月、国際ボクシング名誉の殿堂博物館により殿堂に選出された[5]。
- ^ a b BoxRec - Naseem Hamed
- ^ 「悪魔王子」ナジーム・ハメド IBO世界フェザー級新王者に スポーツナビ Topics Column 2002年5月18日
- ^ 無謀運転で禁固1年3月 元ボクシング世界王者 47NEWS 2006年5月13日
- ^ 危険運転で服役中の元ボクシング王者、リムジンに乗って釈放 - 英国 AFPBB News 2006年9月5日
- ^ “具志堅氏、故大場氏らがボクシング殿堂入り”. AFPBB News. (2014年12月5日) 2016年12月8日閲覧。
- ^ Guide to islam with Prince Naseem 1/3 YouTube
- ^ Guide to islam with Prince Naseem 2/3 YouTube
- ^ Guide to islam with Prince Naseem 3/3 YouTube
- ^ Naseem Hamed: 'Muhammad Ali bigger than sport' Sports Mole 2014年5月27日
固有名詞の分類
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