ナショナル・ギャラリー (ロンドン) ギャラリー

ナショナル・ギャラリー (ロンドン)

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ギャラリー

ナショナル・ギャラリーの1階平面図。増築された箇所が年代別で色分けされている

ウィリアム・ウィルキンスの設計

チャリング・クロス王室厩舎跡の広場(後のトラファルガー広場)にナショナル・ギャラリーを建設するというアイディアは、当時の摂政王太子で後の国王ジョージ4世から、王室厩舎跡を再開発するコンペティションへの参加を命じられたジョン・ナッシュから来ている。当時広場の中心部にはパルテノン神殿を模したロイヤル・アカデミー・オブ・アーツが建てられていた[45]。景気後退によってこのときの構想は挫折したが、コンペティション自体は1831年まで継続されており、ナッシュはチャールズ・ロバート・コックレル (en:Charles Robert Cockerell) を副建築士とした設計書を提出した。しかしながら当時のナッシュの名声は低下しており、ナショナル・ギャラリーの設計は、ウィリアム・ウィルキンス (en:William Wilkins (architect)) に任せられることになる。ウィルキンスは建設用地の選定に関与しており、コンペティションの最後に数枚のドローイングを提出した建築家だった[46]。ウィルキンスは「歴史的な絵画を通じて次代の芸術家を育てる美術の神殿」を建てたいと考えていたが[47]、極度の資金不足と妥協を余儀なくされた結果、建てられたギャラリーはほとんど全ての点で失敗作と見なされてしまった。

ウィルキンス設計による1836年当時のナショナル・ギャラリーの1階と2階。陰になっている箇所は1868年までロイヤル・アカデミー・オブ・アーツが使用していた

限られた用地面積のために展示室は一列しか作ることが出来ず、ギャラリーのすぐ後ろには救貧院と軍隊の兵舎が存在していた[d]。そして、これらの施設へ向かう公衆通行権がギャラリー敷地内に設置されており、ファサード東西両側のポルチコの利用者のかなりの割合を占めたことも大きな問題となった。ギャラリーの利用者と他の施設の利用者の流れを分けるために、移設のため取り壊されていたカールトン・ハウスに使われていた列柱を流用したが、ポルチコに使用されていた列柱とはスタイルが全く異なっており、さらにギャラリーの評価を下げる結果となった。広場北部でもっとも威厳があり中核的な建築物という当初の目標とは全く異なるものとなってしまったのである。また、ファサードの装飾に使用されていた彫刻も他から流用されたものだった。もともとはナッシュがデザインした大理石の凱旋門マーブル・アーチに使用される予定であったものが、経済的な問題でそのまま放棄されていた彫刻だった[e]。ギャラリー西半分は1868年までロイヤル・アカデミー・オブ・アーツが使用しており、スペースに余裕のないギャラリーをさらに手狭にしていた。

ギャラリーは建物完成以前の、そのデザインが文芸雑誌『リテラリー・ガゼット (en:Literary Gazette)』誌にリークされた1833年以来冷笑の的となっていた[48]。ギャラリーが完成する2年前の1836年に『コントラスツ』誌の口絵に悪名高い「胡椒壺 (pepperpot)」の正面図が掲載され、ネオ・ゴシック建築家オーガスタス・ピュージンが古典建築の堕落と紹介したことが大きく広まり、悪影響を及ぼしたこともある[49]。イギリス国王ウィリアム4世もギャラリーを「薄汚く、小さく狭苦しい穴ぐら」と呼んだ記録が残っており[50]、小説家ウィリアム・メイクピース・サッカレーは「ちっぽけなジン売り場」と評した[50]。20世紀の建築史家ジョン・サミュエルソン (en:John Summerson) はこのような先人たちの意見に賛意を示し、ギャラリーの半円形のドームと屋根の輪郭線に沿った2本の小さな小塔との配置を「暖炉に置かれた時計と花瓶で、何の役にも立っていない」と酷評した[46]。建築家チャールズ・バリー (en:Charles Barry) が1840年から開始したトラファルガー広場の改造案にはギャラリーの北側テラス改築も含まれており、不評の原因の一つを解決し、ギャラリーの評価を高めようとする計画があった[13]。ギャラリーに関する様々な悪評は、1984年にチャールズ3世(当時王太子)がウィルキンス設計のファサードを、当時提案されていた増築計画(後のセインズベリ棟)のデザインと対比して「大好きな優雅な友人」と語って以来大幅に緩和された。

ペネソーン、バリー、テイラーによるギャラリーの増築

バリー・ルーム(1872年 - 1876年)、E.M.バリー設計

ナショナル・ギャラリーが最初に増改築されたのは1860年から1861年にかけてで、建築家ジェームズ・ペネソーン (en:James Pennethorne) による改築だった。ウィルキンスの設計よりも凝った装飾がなされたが、改築前のエントランス・ホールに比べ、窮屈感はよりいっそう悪化してしまっている[51]。当然、ギャラリーを完全に建て替える(1853年のチャールズ・バリー (en:Charles Barry))、環境のいいケンジントンの収容能力の高い施設にギャラリーを移設するなどといった提案もあった。1867年にチャールズ・バリーの息子の建築家エドワード・ミドルトン・バリー (en:Edward Middleton Barry) が、4つのドームを持つ大規模な古典的建物にギャラリーを建て直すという設計案を出した。しかしこの構想は受け入れられず、当時の評論家にその外観は「セント・ポール大聖堂のデザインからの盗用」として非難されている[52]

ステアケース・ホール(1884年 - 1887年)、ジョン・テイラー設計

しかしながら、ギャラリーのすぐ背後にあった救貧院が取り壊されることになり、ギャラリーを増築する建設用地に余裕が生まれた。そして、バリーが1872年から1876年にかけて、最初に大規模なギャラリーの増改築を担当することになった。色鮮やかな新ルネサンス様式 (en:Neo-Renaissance) でデザインされており、バリー・ルームと呼ばれる大きな八角形の部屋を中心としたギリシア十字を模した設計となっている。悪評高かったウィルキンス設計のギャラリーを補ったバリーの増築だったが、ナショナル・ギャラリーの職員からの評価は低かった。壮大な外観はギャラリーの本来の目的である絵画を展示する場所という機能とは相いれず、さらに室内を飾り立てることが将来の絵画購入資金を圧迫すると考えられたのである。例えば、15世紀から16世紀のイタリア絵画が展示されていた部屋の天井には装飾や天井画ではなく、19世紀のイギリス人芸術家たちの名前が彫られていただけだった[53]。このような不評もあったが、バリー・ルームはギャラリーの展示計画の中心となった。バリーのデザインは、その後の数世紀にわたるギャラリー増改築の際に踏襲され、その結果現在のナショナル・ギャラリーは全体として調和のとれたデザインとなっている。

ペネソーンが増築したギャラリーは、ジョン・テイラー (en:John Taylor (architect)) が中央エントランスから北へギャラリーを増築する際に取り壊されている。ガラスのドームを持ったエントランスホールは、以前バリー・ルームの装飾も手がけたインテリア・デザイナーのジョン・ディブリ・クレイス (John Dibblee Crace) が天井画を描いている。南側の壁に絵がかかれる予定だったフレスコ画は完成しておらず、現在のその壁にはフレデリック・レイトン (en:Frederic Leighton, 1st Baron Leighton) が所有していた、ゴシック期イタリア人画家チマブーエの絵画が、1990年代から王室コレクションより貸与されて飾られている[54]

20世紀の近代化と修築

ナショナル・ギャラリーの鳥瞰画像(2006年4月)

ギャラリー西側への増改築も徐々に行われていたが、バリーが東側に増築したギャラリーのデザインを踏襲し、全体としての統一性を持たせることを主目的としていた。バリーのデザインと同様にエントランスの戸枠には暗色の大理石が使用され、内装もバリー・ルームと整合性が取れるように増築されている。古典的様式は引き続きギャラリーの増改築に使用されており、1920年代にも画商ジョゼフ・デュヴィーン (en:Joseph Duveen, 1st Baron Duveen) の寄付によって、ボザール様式のギャラリーが増築されている。しかしながら、ヴィクトリア朝への過度な感傷に対する反発が、ギャラリー内部でも高まってきた。1928年から1952年にかけてテイラーが設計したエントランス・ホールの床が、ブルームズベリー・グループと親しかったロシア人芸術家ポリス・アンレプ (en:Boris Anrep) が制作したモザイクで敷き替えられている。これはアルバート記念碑に施された凝ったパルナッソス・フリーズ (en:Frieze of Parnassus) に代表されるような、公衆の建築物の装飾における19世紀の伝統的慣例への皮肉であると読み取ることが出来る[55]。「ミューズの目覚め」が表現されたモザイクの中心部にはイギリス人女流作家ヴァージニア・ウルフ、スウェーデン人女優グレタ・ガルボの肖像があり、ヴィクトリア朝の先人たちの高尚趣味を覆している。アンレプはキリスト教的七つの美徳の代わりに、自身が考える「現代の美徳」を描き出した[56]。それは「ユーモア」や「偏見のない広い心」などであり、これらを示す寓意として、ウィンストン・チャーチル、バートランド・ラッセルT・S・エリオットらの肖像が使用されている。

20世紀になって、ギャラリーのヴィクトリア朝後期のインテリアは、多くの評論家から支持されなくなっていった[57]。クレイスが描いたエントランス・ホールの天井画は、1916年に館長に就任したチャールズ・ホームズ (en:Charles Holmes) の趣味に合わず、白い塗料で塗りつぶされた[58]

1975年に改築された北ギャラリーは、ナショナル・ギャラリーで採用された初めてのモダニズム建築という点で意義がある。これ以前に建てられた展示室ではオリジナルの古典的装飾が、間仕切り、壇、吊り下げ式天井板などの設置のために取り除かれていた箇所もあり、新設された展示室は絵画に対する集中力をそらさないことを目的とした、無個性の内装が施されていた。しかしナショナル・ギャラリーのモダニズムに対する傾倒は短かった。早くも1980年代にはヴィクトリア朝様式は忌み嫌われてはいないとして、元通り19世紀から20世紀の内装に戻すことを目的とした修復計画が始まっており、同時にバリー・ルームも1985年から1986年にかけて改修されている。1996年から1999年には北ギャラリーも「優れた建築的特徴が欠けている」とされて、簡素化はしているものの古典的様式に改築された[37]

セインズベリ棟

トラファルガー広場側から見たセインズベリ棟

近年ナショナル・ギャラリーに加えられた増改築でもっとも重要な建物はセインズベリ棟である。アメリカ人建築家ロバート・ヴェンチューリと北ローデシア出身の建築家デニス・スコット・ブラウン (en:Denise Scott Brown) がポストモダン建築様式で設計し、ルネサンス絵画を展示するギャラリーとして1991年に完成した。ギャラリー本館の西に位置し、第二次世界大戦時にロンドン大空襲で破壊されるまではデパートが建っていた場所である。ナショナル・ギャラリーはこの場所にギャラリーを増築する計画を長くもっており、1982年になってギャラリーのコンペティションが開かれた。参加した建築家には過激なハイテク建築を提案したリチャード・ロジャースたちも含まれている。もっとも多くの支持を受けたのはアーレンズ・バートン・アンド・コラレク建築事務所 (en:Ahrends, Burton and Koralek) が提案したデザインで、のちにその提案にロジャースの提案によく似た塔を追加している。このデザインはチャールズ3世(当時王太子)の「好ましい優雅な友人の顔にできた醜悪な吹き出物」という発言が原因で評価が下落している[59]。この「醜悪な吹き出物」という表現は、周囲の景観を破壊する現代建築を表す言葉として常用されるようになっている[60][61]

1982年のコンペティションにはいくつかの提案条件があったが、そのなかに新築する棟には展示場所のほかに実務オフィスも含むことという項目があった。しかし1985年に、ジョン (en:John Sainsbury, Baron Sainsbury of Preston Candover)、サイモン (en:Simon Sainsbury)、ティム (en:Tim Sainsbury) のセインズベリ兄弟から5,000万ポンドの寄付があり、新築する棟は全て展示空間に充てることが可能となった。その後非公開のコンペティションが開かれたが、提案されたデザインは以前のものと比べてはるかに地味なものばかりだった。

豊かな装飾が施されていたギャラリー本館と比べて、セインズベリ棟の展示室の装飾は最小限でくつろげる場所となっており、小規模な絵画を展示するのに相応しい雰囲気になっている。これらの展示室は18、19世紀のイギリス人新古典主義建築家ジョン・ソーンが設計したダリッジ・ピクチャー・ギャラリーと、ルネサンス期イタリア人建築家フィリッポ・ブルネレスキがデザインした教会内装飾からの影響を強く受けている。セインズベリ棟最北端の展示室は、バリーがデザインしたギャラリー本館東の十字形の展示室と一直線に並んでおり、ギャラリー全体を端から端まで見通せる設計になっている。

トラファルガー広場が歩行者専用区域に指定されて以来、ナショナル・ギャラリーは現在ギャラリー1階にあるオフィスをギャラリー外に移設する計画を進めている。この計画は現在使用されていない中庭と、隣接するナショナル・ポートレート・ギャラリーから2000年に譲渡された土地の有効活用を意図したものである。計画の第1段階として、ジェレミー・ディクソンとエドワード・ジョーンズ (en:Edward Jones (architect)) がデザインした「イースト・ウィング・プロジェクト」が2004年に完成した。このプロジェクトによってギャラリー東に新しく設置された、トラファルガー広場に面した新しいエントランスは、ナショナル・ギャラリーに金銭面で多大な貢献をしたポール・ゲティにちなんで名づけられた。中央エントランスも修復され2005年9月に公開されている。今後の計画には「ウェスト・ウィングプロジェクト」もあり、「イースト・ウィング・プロジェクト」と同様な新しいエントランスと、さらに小さな展示室が予定されている。ギャラリー東側のファサードに新しく半円形の階段が設置される可能性もあるが、これら新しいプロジェクトの予定は未だ公式には発表されていない。


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