ドイッチュラント級戦艦 艦歴

ドイッチュラント級戦艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 00:52 UTC 版)

艦歴

第一次世界大戦

縦列陣で艦隊行動をとる本級。

本級5隻は第一次大戦直前の1906年から1908年にかけて相次いで竣工したが、この時既に英国で弩級戦艦ドレッドノート」が竣工しており、すでに弩級戦艦の時代が始まっていた。本級は完成した時点ですでに旧式化しており、史上最大と言われる海戦の一つ、1916年5月31日~6月1日の第一次ユトランド沖海戦にもドイッチュラント級の出番はなかった。

第一次世界大戦後の状況

ドイッチュラント級はその後、1917年8月には戦艦としての任務を解除されてしまった。その後、皇帝ヴィルヘルム2世オランダに亡命してドイツ帝国は瓦解した後、第一次世界大戦の終結後にヴェルサイユ条約により体制下でヴァイマルドイツ共和国海軍にて保有を認められた戦艦は準弩級戦艦の6隻のみで、ドイッチュラント級は戦艦籍に復帰して、新生ドイツ海軍の中心となったが、戦間期ということもあって目立った活躍はなかった。ちなみに、ドイッチュラントは1917年に兵装を撤去され、宿泊艦に類別されたまま軍艦籍には戻れず、状態不良であったため1922年にヴィルヘルムスハーフェンにて解体された。

小改装

近代改装後のシュレジェンとシュレスヴィヒ・ホルシュタイン

残りの「ハノーファー」「シュレジェン」「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」は乏しい海軍予算から1930年代に近代化改修工事を実施し、数々の改良・改修が加えられた。

他国のように主砲仰角の引き上げ等は行われず、天蓋部に測距儀を載せるにとどまる。司令塔を組み込んだ操舵艦橋のフラット部分は拡大されて三層構造となり、円柱状のミリタリー・マストは軽巡洋艦エムデン」に酷似した頂上部の10.5m測距儀を持つ測距室のすぐ下に前方の桁が長いX字型のヤードが伸びる。その下の主脚は縦に二段の探照燈台を設けた強固な単脚型へと更新された。煙突は煤煙が艦橋に逆流するのを防ぐために1番煙突と2番煙突の煙路を結合して2本煙突となった。後部ミリタリーマストは背を低くされた。

艦尾から撮られた「シュレージェン」。増設された8.8cm高角砲がよく判る写真。

副砲はハノーファーのみ従来の17cm単装速射砲を装備し、シュレジェン、シュレスヴィヒ・ホルシュタインからは軽巡洋艦にも採用されている15cm単装砲14門に換装された。8.8cm単装砲は脅威が駆逐艦から航空機に移った為に対空高角砲4門を後檣基部に片舷2門ずつ計4門据付けた(後に1940年代に防空任務を担った時は20門になった)。他に前部上甲板に50cm連装水上魚雷発射管を両舷に1基ずつ装備した。

そしてヒトラー政権の再軍備宣言と共に新鋭艦艇の建造が開始され、ハノーファーとシュレスヴィヒ・ホルシュタインはシュレジェンと共に練習艦となった。

第二次世界大戦

艦砲射撃を行う「シュレスヴィヒ・ホルシュタイン」。

1939年9月1日の朝午前4時45分、自由都市ダンツィヒに進出していたシュレスヴィヒ・ホルシュタインは、ヴェステルプラッテ要塞に砲撃を加えて第二次世界大戦の火蓋を切った。9月末にはシュレジェンも加わり、両艦でヘル半島のポーランド軍陣地への砲撃を行った。1940年ヴェーザー演習作戦では、両艦は掃海艇の護衛や陸軍部隊の輸送にあたった。

以後両艦は宿泊船としてゴーテンハーフェンに繋留されたが、しばしばバルト海にて練習艦として活動し、一時的に機雷敷設作業の援護にも従事した。大戦末期、シュレスヴィヒ・ホルシュタインは空襲により、シュレジェンは触雷によりそれぞれ損傷し、前者は1945年3月21日、後者は1945年5月4日に爆破により自沈処分となった。

ハノーファーは標的艦に改造することも計画されたが実行はされず、爆弾の爆発実験に使用されたりした。1944年5月から1946年10月の間にブレーマーハーフェンで解体された。








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