ドイッチュラント (客船・3代)とは? わかりやすく解説

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ドイッチュラント (客船・3代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/04/29 23:33 UTC 版)

船歴
船籍 ドイツ
母港 ハンブルク
所有 ハンブルク・アメリカ・ライン
航路 ハンブルク - ニューヨーク
発注 1921年
建造 Blohm & Voss、Kommandit Ges auf Aktien
進水 1923年4月28日
竣工 1923年12月
就航 1924年3月27日
その後 1945年5月3日に撃沈
性能諸元
総トン数 21,046トン
全長 645フィート
全幅 72.25フィート
全高 41.9フィート
機関 蒸気タービン8つ、スクリュー2軸
速力 20ノット
定員 乗客976名、乗務員422名

ドイッチュラントSS Deutschland[1]は、ハンブルク・アメリカ・ラインの所有していた客船。1945年に撃沈された。

概要

ドイッチュラントはアルベルト・バリーン級4姉妹の2番船としてブローム・ウント・フォス社で建造され、1923年4月28日に進水、同年12月に竣工し、1924年3月27日サウサンプトン - ニューヨーク間の処女航海を行った。ところが、ドイッチュラントの動力機関は振動が激しかったため、「カクテルシェイカー」というあだ名をつけられた。1929年の改装でエンジンを交換したものの、速力が19ノットに低下した。

1940年、ドイッチュラントはグディニャで抑留され、1945年から7回、バルト海での航海に使われた。その期間で、ドイッチュラントは70,000名の兵士と多量の弾薬を輸送した。同年4月、ドイッチュラントは病院船に転用され、白色と赤十字の塗装となった。

1945年5月3日、ドイッチュラントはリューベック湾イギリス軍機の空襲に遭い、客船カップ・アルコナ、ティールベクと共に転覆、沈没した。

1948年、ドイッチュラントは残骸の一部が引き上げられ、解体された。

関連項目

出典

  • Roy Nesbit - Cap Arcona: atrocity or accident? - Aeroplane Monthly, June 1984.
  • Williams, David, Wartime Disasters at Sea, Patrick Stephens Ltd., Nr Yeovil, Somerset, UK, 1997, pp.236-37.
  • 海人社『世界の艦船』2012年8月号 No.764

脚注

  1. ^ この船は、他の客船と区別するためにドイッチュラント4号と呼ばれることがある。



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